中屋敷遺跡 (神奈川)
2025-11-14


中屋敷遺跡 (神奈川)(なかやしきいせき)は、神奈川県足柄上郡大井町にある弥生時代の遺跡である。

概要

菊川の上流左岸に位置し、標高90mから97mの微高地に位置する遺跡である。縄文時代から弥生時代に移行する時期の遺跡となる。 1934年(昭和9年)に道路の拡張工事中に地表下1.2mから偶然に土偶形容器が発見された。1958年(昭和33年)に吉田格が土偶形容器発見地点の隣接地を調査し、縄文時代前期末葉、弥生時代初期の条痕文土器を報告している。

調査

1999年(平成11年)から2004年(平成16年)にかけて昭和女子大学は6次にわたる発掘調査を実施した。1999年の第1次調査では1号土坑を検出した。また条痕文土器の破片を確認した。

2000年の第1次調査で2号土坑を検出した。0.85×O.75mの不整円形で深さは0.2mであった覆土から壷・広口壷・鉢・甕の破片、炭化材、黒曜石チップ、骨片が出土した。口縁から底まで確認できた山形突起を持っ壷は黒色処理された器面に赤彩で文様が描かれ、頸部が内湾する。他に工字文を有するもの、口縁に一条の沈線を巡らすもの、波状口縁で縄文帯を持つ、平坦で口縁に縄文帯を持ち縄文帯の下は無文で斜めの条痕を持つものなどが出土した。2号土坑は弥生時代と判断された。

2002年の第4次調査で12号・13号土坑を検出した。いずれも平面は円形である。12号は径約0.8m、深さ0.4m、13号は径0.9m、深さ0.5mである。12号土坑から口縁・頸部に縄文を施し、その下を強くなでた磨消付帯文土器が出土した。13号土坑から土器片2点と炭化材が出土した。

2003年の第5次調査で14号から17号土坑を検出した。15号土坑の平面は円形であり、径1.2m〜1.4m、深さ0.6mである。縁部に押捺を加えた条痕文の深鉢と微細な炭化材を検出した。 16号土坑は径1.3m〜1.5m、深さ0.6mである。多数の土器、石器、炭化材、骨片、土製品数点が出土した。鉢の口縁部片は口縁部に縄文帯があり、直下に三角連繋文をつける。小型壷の胴部片は頸部に磨きがあり、上胴部に沈線による変形工字文、下胴部には縄文を施す。

他に突帯文土器、突帯文土器、条痕文のある甕、壺が出土した。石器は打斧1点の他、黒曜石のフレーク、チップが大量に出土した。

2004年の第9次調査では18号から25号の計8基の土坑を検出した。 18号土坑は平面円形で径は約1.3m。壺、広口壷などの土器、炭化材が出土してた。19号土坑は円形の平面で径は1.lm、深さ0.4mである。口縁に縄文帯のある土器片や条痕文土器、石鏃・磨石、大量の骨片・炭化物が出土する。21号土坑は、平面は円形平面で、径は約1.0m、深さ0.6mである。土器と共に、石器多量の骨片・炭化物が出土した。壷形土器は口縁部に幅の狭い縄文帯を施し、直下に沈線による三連繋文が施される。状口縁で縄文帯を持つ甕も出土した。石器に石鏃2点と打斧1点がある。さらにイノシシの歯を検出した。

22号土坑は径1.3mでやや楕円形を呈する。深さは0.7mである。土器と共に石器、大量の炭化物・骨片が出土した。条痕文土器、突帯文土器、変形工字文土器、山形文土器などがある。壷の口縁は遠賀川系土器である。22号土坑からトチノキの種実を数点検出した。炭化物の集中する土層から約18sの土壌を採取し、樹種同定を実施した。その分析により炭化米を検出し、選別した資料の中に炭化アワ・キビなどの雑穀が多量に含まれることを確認した。さらににシカの角と歯を検出した。石器は黒曜石のフレークとチップであった。

24号土坑は、平面円形であり、径は約1.4m、深さは0.6、である。土器と共に石器、炭化物。骨片が出土した。土器は条痕文土器、突帯文土器が出土した。放射性炭素年代測定により、炭化米・トチノキ・土器付着物の年代は紀元前5〜4世紀の結果を得た。

土器形式

条痕文土器は縄文時代からあるが、条痕紋系土器様式であれば中部地方から広まった弥生土器である。条痕文土器は貝殻などで条痕文様をつけた土器の様式である。突帯文土器は縄文時代から弥生時代へと変わる時期の土器である。

土偶形容器


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[弥生時代]

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