三雲・井原遺跡
2024-01-13


三雲・井原遺跡(みくも・いわらいせき,Mikumo / Ihara Ruins)は福岡県糸島市にある弥生時代の遺跡である。

概要

三雲・井原遺跡は福岡県糸島市に所在する。糸島市は平成22年1月に前原市、二丈町と志摩町が合併して誕生した。糸島市は北と西に玄界灘があり、南は標高982mの井原山、標高954.5mの雷山、羽金山、女嶽、浮嶽がある。糸島市の平野の大半は江戸時代の干拓事業によって形成された新しい平野である。三雲・井原遺跡は瑞梅寺川と川原川に挟まれた標高30〜 44mの肥沃な扇状地に広がる。

三雲・井原遺跡は『魏志倭人伝』に記載される「伊都国」の中心集落とされる弥生時代の大規模遺跡である。江戸時代末期に発見された甕棺墓遺跡である三雲南小路遺跡を含む。遺跡の面積は約60ヘクタールとも言われ、弥生時代において最大級である。魏志倭人伝に記される伊都国の王墓とするのが通説である。

調査

本格的な調査は昭和49年度の三雲地区圃場整備事業に伴うもので、福岡県教育委員会が実施した。その結果、長らく不明であった三雲南小路遺跡(1号甕棺)を再確認するとともに、2号甕棺を発見し、大量の銅鏡が出土した。平成6年度からは前原市教育委員会が担当し、三雲南小路王墓の範囲の確定、井原鑓溝地区における有力者層の墓群の確認、方形区画溝の確認、三雲番上地区の楽浪系土器を含む土器溜まりの規模を確認した。

三雲・井原遺跡の集落変遷

集落の変遷は4期に分かれる。

遺構

出土

楽浪系土器

 土器溜りから楽浪系土器が48点出土した。『魏志』倭人伝の記述と併せると、楽浪郡や帯方郡からの使者が継続的に居住したこと示すものと考えられている。楽浪系土器は北部九州や山陰の遺跡からは1〜数点出土するが、三雲南小路遺跡の出土数がかなり多いことは、 伊都国にあった一大率と関連すると想定できる。

遺跡規模

参考文献

  1. 糸島氏教育委員会(2018)「三雲・井原遺跡]」糸島市文化財調査報告書 第17集
  2. 糸島氏教育委員会(2019)「三雲・井原遺跡]T」糸島市文化財調査報告書 第18集
  3. 福岡県教育委員会(1983)「三雲遺跡 W」福岡県文化財調査報告書第65集
  4. 福岡県教育委員会(1982)「三雲遺跡 V」福岡県文化財調査報告書第63集
  5. 福岡県教育委員会(1980)「三雲遺跡 T」福岡県文化財調査報告書第58集
[弥生時代]

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