花岡山遺跡(はなおかやまいせき)は大阪府八尾市にある縄文時代から中世に渡る複合遺跡である。
八尾市の北東部、生駒山北西部の標高60mから70mの扇状地にある遺跡である。高地性集落の性格をもつ居住域の可能性がある。鎌倉時代(13C)においては、居住域を構成した井戸、土坑、溝、柱穴が見つかっています。これまでの調査においても同時期の集落域が検出されており、河内地域と大和地域をつなぐ「十三街道」に沿って展開した集落であったと推定される。
縄文時代から中世に渡る遺構・遺物が見つかっている。弥生時代後期の土壙墓も見つかった。弥生時代に墓地として利用されていた。2014年の調査では弥生時代後期の平面が方形の竪穴住居が3基見つかった。全容が明らかな住居は1辺が5.2nから5.6mであった。竪穴式住居には熱による変色部分がみられ、炉があった可能性がある。別の竪穴式住居からは建物への雨水などの侵入を防ぐために設けた周堤の基礎になったと推定される杭列跡が、壁溝内から多数見つかった。 第一次調査は第一調査区から第六調査区を設け、東西60m南北60mの範囲を調査した。
弥生時代後期中葉(1C末〜2C初頭)では竪穴式住居3棟〈SI1〜3〉のほか大溝〈SD2〉が見つかった。 竪穴住居群の東方に近接して発見された大溝〈SD2〉は幅3.0mから5.0m、長さ20m以上、深さ1.3mから1.5mの人工的に掘られた断面「V」字状の溝である。溝内から一時的に投棄された大量の弥生土器が出土した。
「花岡山古墳」(全長約73m)は壊されたが、跡地に石碑が建つ。
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