久里双水古墳(くりそうすいこふん)は佐賀県唐津市にある古墳時代の前方後円墳である。
昭和55年に労働者住宅生活共同組合の宅地造成事業に伴い、前方後円墳と確認された。大型の前方後円墳であり、遺存状態がよいことから造成工事や県道の範囲から外されて、保存された。松浦川右岸の丘陵先端部に立地する。唐津平野で最古期の古墳の1つとみられる。
昭和63年1月には県史跡に指定され、平成元年に公有化した。平成元年8月に地下レーダー探査による遺構保存状態の調査を行い、平成3年度から3年間、古墳前方部、古墳後円部、古墳墳頂部の範囲確認調査を実施した。確認調査により全長108.5m、後円部径62.2m、前方部幅42.8mで、墳丘築成は後円部と前方部下半部が地山削り出しで、前方部上半部が盛土の自然地形を利用した特異なものであり、しかも年代が4世紀前半までさかのぼる可能性があることが判明した。 平成6年度調査で全体が厚く粘土被覆された古墳の主体部の竪穴式石室が調査された。粘土で覆われた石室は、砂岩製の天井石3枚によって密閉されていた。開口すると結果、内径が長さ約2.5m、幅0.9m、高さ1.0mの竪穴式石室が検出された。床面に長さ2.05m、幅0.61mの両端が反り上がった特異な形の、断面がU字形の粘土床がみつかった。壁面や天井石の裏には一面に赤色顔料が塗られ、粘土の被覆面の中にも顔料の散布面が確認された。石室は砂岩や玄武岩の板石を粘土と交互に積み上げて築かれており、壁面や天井石の内側には赤色顔料が塗られ、床面には木棺を安置するため断面U字型の粘土床が設置される。
『魏志倭人伝』に記される邪馬台国の国のひとつ「末廬国」があったと推定されている場所であり、久里双水古墳は『魏志倭人伝』(3世紀末)に記載された末廬国の王の後継者の墓とも推測されている。
3世紀末から4世紀頃。
現在は「久里双水古墳公園」として整備されている。ガラスに覆われた石室を見ることができる。古墳の頂上に登ると山本地区一帯を見渡せる。
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