金錫亨(きむそっきょん、1915-1996)は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の歴史学者である。北朝鮮の社会科学院の院長などを歴任した。
大邱生まれ。1960年代に発表した論文「三韓三国の日本列島内の分国について」で分国論を提起した。強烈な民族意識に支えられた朝鮮民族中心の歴史観である。 古代日本の南朝鮮領有を主張する日本の学会の「任那日本府」説は近代日本の侵略思想の現れであると主張した。むしろ古代朝鮮が古代日本の中に多数の国を作っていたとする、「分国論」を提起した。 金錫亨、朴時亨の2 名は中国東北地方に関する中朝合同調査を進めたのを基礎に、それぞれ広開土王陵碑に関する研究を行った。当時歴史研究所所長を務めていた金錫亨は、集安現地の広開土王陵碑の観察に基づき、主に辛卯年について解析し高句麗を主語にした初期日朝関係史を展開した。
金錫亨の主張する分国の存在を考古学的に立証することは不可能であり、金錫亨の主張そのものは、日本の植民地史観に対する非常に過度な脱植民地主義的、民族主義的「対応」としての性格が強かったと語る。植民地主義に対する「対応」という観点からは当然傾聴すべき話だったが、学術的な成立は困難な学説であったと朴露子は評価する。
゙喜勝(2015)「朝鮮歴史学界の研究の現況について」コリア研究 第6号、pp.19-28,立命館大学コリア研究センター
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