木緜(ゆう)は樹皮をはいで水にさらしたり蒸したりして繊維状にし糸を織って布にしたものである。
木綿(もめん)とは異なる。木綿は15,16世紀に日本にもたらされたもので、3世紀にはまだない(石川欣造(1998))。楮(コウゾ)や梶(カジ)などの樹皮を剥がし、水にさらしたり蒸したり、細かく裂いて糸にしたものとされる。その糸で布を作る。佐原真(1997)は布の鉢巻きでは無く、繊維状の糸を頭にまいていたとする。
『魏志倭人伝』に「其風俗不淫 男子皆露〓 以木緜招頭 其衣横幅 但結束相連 略無縫」と書かれる。大意は、風俗は淫らでは無く、男子の髪はみなみずらである。木緜を頭にかける。鳥越(2020)は「木緜は木綿に同じ」(p.111)としているが、いわゆる木綿とは同じではないので、誤りである。招頭とは鉢巻きにするという意味である。
吉野ヶ里遺跡SJ0367 甕棺墓から、毛髪様のものから毛髄質が確認され、7層の層状構造の各層が毛小皮を形成する小皮に一致し、内部に小皮細胞特有の層構造がみられ、さらに髄示数(0.20〜0.30 前後)、空胞の配列(一列に長軸方向)などからヒトの頭毛であろうと推測された。頭毛の束に付着していた紐状のものはパルプの繊維に似ていることから木緜と考えられている。『魏志倭人伝』の記述が裏付けられたといえる。
木綿の布を鉢巻きにしたとの誤解もあるが、実際はゴワゴワした硬めの糸で織った布を巻いていたのであろうか。ターバン状にして頭に巻いたものは、梁職貢図に現れる。倭の使者は、頭に布を巻いており、上衣をはおり、腰に布を巻き、手甲に脚絆だが裸足である。鬚が濃く腰回りはたくましく、リアリティがある。
セコメントをする