中原第4号墳(なかはらよんごうふん)は静岡県富士市にある古墳時代の古墳である。
中原第4号墳は72基程度のまとまりのある伝法古墳群のうちの1基である。静岡県富士市伝法字中原に所在する古墳時代後期(6世紀)の直径約11mの小規模円墳である。 東名高速道路の富士インターチェンジの北西、伝法沢付近である。 規模の割に豊富な副葬品の武器、馬具、土器が見られる。 中原第4号墳の特徴を佐藤祐樹(2018)は次のように規定する。 @富士地域でもっとも古い横穴式石室の埋葬施設をもつこと。 A石室が作られてから、一度も盗掘にあっていないこと(埋葬状況を把握できる) B豊富な副葬品から、そこから被葬者の位置づけを把握できること。 埋葬施設の規模からすると、鉄族の出土量は突出している。
平成4年に発見され、発掘調査が行われた。 未盗掘の無袖形の横穴式石室内及び周溝内から、玉類、刀剣、鉄鏃、農工具、鍛冶具等の生産用具、馬具、用途不明鉄製品、須恵器、土師器など多種の遺物が出土した。 石室の大きさは奥行き4.6m、幅1.1m。
骨の痕跡と土器の年代から3人の人物が3回に分けて埋葬された。 3組の鉄製馬具は馬の生産・飼育との関わりが推定され、100本を超える鉄鏃は被葬者の武人的な性格が見られ、銀象嵌鍔付大刀、銀象嵌鍔付鹿角装剣は大和王権との関係、横穴式石室、鉄鏃、玉類は西日本との交流がうかがえる。 古墳時代後期には副葬されることが少ない鍬、鋤先、鎌、鑿などの農工具や、東海地方では稀有な遺物である鉄器生産に不可欠な鍛冶具(鉄鉗)、服飾生産に関係する針などが珍しい。 渡来人を含む土木・手工業の技術者集団を率い、富士山麓を開拓開墾したリーダーであった。多様な先進技術を持ち込み、地域の新たな開発に関与した有力層である。
なぜこのような小さな古墳なのに副葬品が多量に出土したのであろうか。3世代にわたり副葬品が納められたこと、盗掘がなかったことが要因として挙げられる。この被葬者かなり先進的なリーダーであったかもしれない。 中原第4号墳のリーダー等の居住地はどこであったか。近くの場所では中桁・中ノ坪遺跡が候補にあがる。
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