西川津遺跡
2024-09-06


放射性炭素年代測定

ばらつきが大きいが、紀元前3300年から5700年であろうか。

指定

考察

鍬、丸鍬、狭鍬、又鍬、鋤の柄、鋤身などは米作りの道具である。鶴場地区から大量の炭化米がみつかっている。弥生時代の炭化米は島根県埋蔵文化財調査センターで保存する。 蔵)

アクセス等

参考文献

  1. 「西川津遺跡で、弥生前期の大溝を発見」毎日新聞、2011年11月14日
  2. 宇野隆夫(2011)「考古学」ブリタニカ国際年鑑 、pp.221-224
  3. 内田律雄(1987)『朝酌川河川改修工事に伴う西川津遺跡発掘調査報告書3』
  4. 島根県教育委員会(1999)『西川津遺跡』6
  5. 島根県教育委員会(2000)『西川津遺跡Z』埋蔵文化財発掘調査報告書第12冊
  6. 島根県教育委員会(2001)『西川津遺跡[』埋蔵文化財発掘調査報告書第13冊
  7. 石川日出志(1987)「土偶形容器と顔面付土器」『弥生文化の研究8 祭と墓と装い』雄山閣出版
  8. 設楽博己(1990)「線刻人面土器とその周辺」『国立歴史民俗博物館研究報告』第25集
  9. 設楽博己(1999)「第V章 弥生文化の東へ西へ 第3節祖先の顔」『新弥生紀行』朝日新聞社
  10. 三浦清・内田律夫(1988)「松江市西川津遺跡から出土した分銅形土製晶に含まれるクローム鉄鉱とその考古学的意義」島根大学教育学部紀要. 人文・社会科学 22 (1),pp.1-6

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