西川津遺跡
2024-09-06


西川津遺跡(にしかわづいせき))は縄文時代から近現代まで続く大規模な複合遺跡である。弥生時代は拠点集落遺跡となる。

概要

松江市の、朝酌川中流域近くの島根大学松江キャンパス北東にある弥生時代を中心とする集落・低湿地遺跡である。 西川津遺跡は松江市北部の朝酌川流域に拡がり、昭和50年代から平成20年代にかけて発掘調査が行われた。遺跡から土笛や貝輪、銅鐸、多数の木製品が出土するなど、山陰地方を代表する弥生時代の大規模拠点集落として知られる。コンテナ数約3,000箱に及ぶ膨大な遺物が出土した。西川津遺跡には前期から中期にかけての多量の上器や木製の農工具、石製品、骨角器などがあり、島根県地域で最も早く水田耕作が始まった地域である。本製農耕具の多量な出土が特徴で、特に鍬類では、広鍬、狭鍬、丸鍬の製品、そして、広鍬、丸鍬では各段階の未製品の出土があり、当地方での鍬類の製作過程が分かるものである。

貝塚

遺構としては弥生前期の貝塚、中期の掘立柱建物跡なども検出されている。 西川津遺跡では弥生時代の前期〜中期(2500年〜2000年前ころ)の小規模な貝塚が何か所かで発掘調査されている。縄文時代の佐太講武貝塚と同様、貝の主体となるのはヤマトシジミである。

遺構

遺物

木製壺

宇野隆夫(2011)による報告は以下の通り。従来、大量の土器・木器、玉作り資料、銅鐸、掘立柱建物などが見つかっていた。今回の調査では弥生前期の2条の環濠および弥生後期の1条の環濠が発見された。弥生前期の環濠は貯木場の機能をもち、多くの木製農具に混じって木製壺1点が出土した。壺のように口がすぼまる形のものを一木から作ることは難しいため、高度な木工技術を示している。本例は弥生時代木製壺として最古のものである。また弥生後期の環濠からはJ字形のガラス製玉勾玉が見つかった。ガラスの色はコバルトブルーでありJ字形の勾玉は、初めて発見されたものである。本調査で、西川津遺跡が山陰地方の一大有力拠点集落であったことが明確になった。

大溝

2011年11月10日(木)、島根県埋蔵文化財調査センターは、松江市の西川津遺跡から、弥生時代前期の大溝1本が発見されたと発表した。2010年に同遺跡で見つかった大溝とつながるものと見られており、大溝の長さは少なくとも30メートルと見られる。 同センターは「環濠集落」の可能性があるとする。

人面付土器

額部分が最大幅であり、顎に向かって細くなる尖顎である。顎から頸にかけて写実的に表現されている。眼寓上隆起が強調され、眼寓自体が一段下がった位置に表現される。目はヘラ状工具による刺突、鼻孔は先端の狭い工具による刺突により表現されるが、日は浅く柔らかい表現となる。西日本の人面付土器で弥生時代前期に遡るものとしては、山口県下関市、綾羅木郷遺跡の土偶、岡山県岡山市。田益田中遺跡の人面土製品、同県邑久町・熊山田遺跡の人形土製品、香川県志度町の鴨部川田遺跡の土偶、兵庫県。大歳山遺跡の土偶、大阪府茨木市。東奈良遺跡の土偶などがある。 西日本の人面付土器のルーツの解釈は2説がある。


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[弥生時代]

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