拝化(はいか)は皇帝など権威者の代理人(使者)が面会するという意味である。
「拝化」の解釈は魏の使者が倭王(卑弥呼)に面会したかどうかに関わる重要な部分である。 したがって、正確に解釈しなければならない、 『魏志倭人伝』の原文に「拝化」は2個所に登場するため、両者で同じ意味として解釈する必要がある。
Aの読み下しは、「正始元年、大守弓遵、建中校尉梯儁等を遣わし、詔書、印綬を奉じて、倭国に詣り、倭王に拝仮し、ならびに詔を齎し、金帛、錦、ケイ、刀、鏡、采物を賜う」である、つまり弓遵と梯儁が倭国に来て、倭王に「拝化」した。 Bの読み下しは、「塞曹掾史の張政等を遣わし、因りて詔書、黄幢を齎し、難升米に拝仮し、檄を為りて之に告喩せしむ」である。つまり、張政が皇帝に代理として、難升米に拝仮した。
魏志倭人伝に書かれる2個所の「拝化」の意味を統一的に解釈するためには、「拝」を任命した、あるいは、拝んだ(頭を下げた)という意味とするなら無理がある。
「拝仮」=「拝」+「仮」である。 「拝」には複数の意味がある、(1)ひざまずいてぬかずく、(2)礼節を持って面会する、(3)謝礼をする、(4)任命する、(5)謹んで受ける、(6)たてまつる、(6)引き抜く、などである(『漢辞海』)。 ここでは「礼節を持って面会する」という意味と解釈できる。「ひざまずいてぬかずく」では、上位者の梯儁が難升米にひざまずいたことになり、都合が悪い。任命する意味では、「拝假倭王」は解釈できても、「拜假難升米」は解釈できない。「難升米を任命した」では何に任命したかについて書かれていないからである。 「○○に任命する」の○○がなければならないが、「拜假難升米」ではその○○がないから、当てはまらない。また梯儁が来る前の景初3年(239年)に卑弥呼は倭王に任命されており、「親魏倭王」とされている。翌年の正始元年(240年)に改めて倭王に任命するのは前後関係として重複する。
「仮」にも様々な意味があるが、形容詞としては(1)代理の、暫定的な、(2)非公式の、(3)でたらめな、という意味がある。 ここでは代理という意味に解釈できる。皇帝の代理として「拝」をしたという意味である。 つまり、「拝假倭王」は倭王に明帝の代理として礼節を持って面会した、で意味が通じる。「拜假難升米」は張政らが詔書・黄幢をさずけながら、礼節を持って難升米に面会し、檄を執筆し、告喩したという意味と解釈したい。
セコメントをする