大友遺跡(おおともいせき)は佐賀県東松浦郡呼子町にある弥生時代から古墳時代にかけての墓地である。
東松浦半島の北端、玄界灘に面した海岸部にある遺跡である。1967年(昭和42年)に1967年(昭和42年)に海水浴に来ていた中学生によって発見された。夜臼式期に造られた支石墓の下部構造は石を土坑の壁沿いにめぐらせる「石囲いの土坑」であり、北部九州の支石墓のなかでも朝鮮半島の遺跡に近い。弥生時代前期の板付T式併行期には初期に形成された支石墓群とは別の場所に土坑墓群が作られ、弥生時代前期中葉から後葉の伯玄式・金海式の段階には単独の甕棺墓が営まれた。弥生時代のはじめに朝鮮半島経由で伝わった支石墓や土壙墓、甕棺墓、石棺墓など210基を超える墳墓が確認された。 遺物には、副葬品として南海産のオオツタノハ製腕輪や、ゴホウラ製腕輪など多様な貝輪や、小壷・甕棺・管玉などの玉類、貝輪などが出土した。墓地は弥生早期から古墳時代までにかけて使用されていたと考えられており、埋葬習俗の変遷が明瞭に辿れる集団墓として着目されている。
第1次調査は昭和43年から44年にかけて、第2次調査は昭和45年に実施された。玄界灘に面する墓地遺跡で、支石墓、土墳墓、牽棺墓や箱式石棺墓等の多様な埋葬遺構が発見されている。九州大学考古学研究室により1999年に5次、2000年に6次発掘調査が行われた。4次調査で検出されていた57号支石墓の北側に10基の支石墓(しせきぼ)、8基の土坑墓、3基の甕棺墓、2基の石棺墓などが検出された。
神澤秀明・角田恒雄・安達登他(2021)は側頭骨が残存する個体のうち,オオツタノハ貝製腕輪を着装した5次8号支石墓の熟年女性を分析に用いた。ミトコンドリアDNA ハプログループはM7a1a6 と判定された。縄文人の典型的なハプログループである。核DNA データを用いた主成分分析から,大友5次8号支石墓出土人骨は縄文人のクラスターの範疇に収まり,大陸系集団との混血の影響は見出されなかった。この結果と、支石墓から発見された人骨は、いわゆる「渡来人」的な特徴ではなく、頬骨が低く平面的で、鼻が広くひろがる、「縄文人」的な特徴を持っていたことから、支石墓は縄文系人が朝鮮半島の墓制を取り入れたものと解釈することが妥当と考えられた。
炭素14年代は大気中の14C濃度を基準として計算されるが、海洋リザーバー効果という海水循環による影響のため、海洋起源の炭素を摂取した生物は実際よりも古い年代値となる。日本海沿岸における海洋リザーバー効果のデータはそれまで得られていない。 三原正三、宮本一夫(2003)は海洋リザーバー効果があるとの前提に立ち、較正年代を算出しているが、海洋リザーバー効果の有無は検証していない。
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