台渡里遺跡(だいわたりいせき)は、茨城県水戸市渡里町にある飛鳥時代、奈良時代から平安時代に渡る遺跡である。「台渡里官衙遺跡」ともいう、
台渡里遺跡は国指定史跡「台渡里廃寺跡」の観音堂山地区,南方地区の東西に広がる遺跡であり、那珂川右岸の標高31mから34mの台地縁から中央平坦面にかけて広がる遺跡である。 7世紀後半以前に営まれた豪族居館もしくは評段階に遡る初期官衙が検出された。7世紀末から8世紀初頭頃に位置付けられる竪穴建物跡1棟が確認された。長方形のプランの可能性が高い。台渡里の台地上ではこれまでに7世紀末頃の竪穴建物跡が多数確認されているが、平面プランが長方形を呈するものはアラヤ遺跡(第1地点)の工房に続き、2例目となる。床面および床面直上より出土した砥石3点は、金属器等の刃部の仕上げや維持・補修に係るものと見られる。鍛冶工房かどうかはは定かではないが、砥石が出土したことから金属器の等の刃部の仕上げや維持・補修が行われていた可能性が高い。本遺跡が立地する台地上に7世紀第4四半期から8世紀前葉にかけて那賀郡周辺寺院や那賀郡衙正倉院が造営されており、郡衙周辺寺院や郡衙正倉院の造営に必要な金属器の生産・維持・補修を行っていた造営集落が郡衙周辺寺院や郡衙正倉院の近隣に展開していた。「厨口」銘の墨書土器が出土した。
1939年の第一次調査では7 世紀後半から8 世紀初頭の竪穴住居跡4 軒,溝6 条,建物跡2 棟が検出された。1943年の第三次調査では「之十二」銘文字瓦、瓦塔片 「徳輪寺」銘文字瓦 文字瓦が多数出土した。1971年の第五次調査では「往生料」銘の墨書土器が出土した。第24次調査では「備所」銘墨書土器が出土した。「備所」は租税を備蓄しておくための施設名が想定されている。64次調査では工房として機能していたとみられる長方形の竪穴建物跡が1 棟確認され,金属器の研磨に用いられたとみられる砥石などが出土した。第1号竪穴建物跡は大半が調査区外に延びており、全容は解明できなかった。廃絶年代は8世紀第 2四半期から第3半期の間とみられる。砥石は鉄製品の維持・補修のために使用していたとみられる。
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