局部磨製石斧(きょくぶませいせきふ)は素材の石を打ち欠いた打製石斧の刃先部分のみを人手で磨いた石器である。
局部磨製石斧は後期旧石器時代に登場した。旧石器時代前半期(38〜29Ka)を特徴づける遺物とされる。縄文時代にも出土例がある。旧日石器時代から縄文時代にかけての移行期に現れる神子柴型の石斧(局部磨製石斧)は大型である。大平山元I遺跡、湯ノ沢遺跡では刃部端が膨らみ基部が円くなる。東京都内では下高井戸戸塚山遺跡で局部磨製石斧の出土例があり、これは武蔵野台地で最古の遺物である。縄文時代の出土例としては、大平山元遺跡、垣谷遺跡などがある。
鏑川本流から約480m標高の山中にある金剛萱遺跡から出土した局部磨製石斧の石材は緑灰色の緑色岩であり,長さ136.9o,幅21.1o,厚さ32.0oで重量は92.6gである。岩宿遺跡の局部磨製石斧は後期旧石器時代前半期の初頭に特徴的なホルンフェルス製の石器である。
用途は木の伐採説(稲田孝司・長崎潤一・佐藤宏之ら)、加工道具説、骨の打ち割り具説、皮の加工道具説(麻柄一志・春成秀爾ら)、大型動物解体具説などがある。 旧石器時代前半期は日本列島からナウマンゾウが絶滅した頃であるから、これらの旧石器時代石斧は木の伐採用ではなく,大型動物の狩猟用だったという仮説が出されている(谷和隆(1995))。
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