岩戸山古墳(いわとやまこふん)は福岡県八女市にある北部九州最大の前方後円墳である。
福岡県の南内陸部の八女丘陵上に展開する八女古墳群のひとつ。古墳は東西を主軸とし、後円部は東に向けられる2段造成である。被葬者は「磐井」といわれ、日本書紀の中で「ヤマト政権に対する反乱」とされている筑紫地方の豪族である。八女丘陵上の古墳群は磐井一族とその構成員層のものと考えられている。東北角の周庭外方に接続する一辺43mの造出があり、多数の石人・石馬があることを考えると、『筑後国風土記』が記載する筑紫君磐井の墳墓と考えて問題はない。 大塚恵治の講演「継体天皇と筑紫君磐井」では、岩戸山古墳の石人・石馬に三葉文杏葉の陽刻や振り環頭の太刀形陽刻がある。これらは継体大王との密接な関係性が推測されると述べる。-磐井は博多湾内に朝鮮半島向けの港湾施設(糟屋屯倉)を設けており、有明海・玄界灘・東シナ海に影響力があった。特に朝鮮半島南部に独自の交流網を構築していたとする。
埋葬施設は未確認である。矢野一貞が作成した『筑後将士軍談』の墳丘絵図に後円部と前方部の上段斜面にほり崩しの窪みが描かれている。「共に石窟跡」と注記され、横穴式石室があったと矢野一貞は推測した。森貞次郎はこれに批判的で、六世紀前葉に一般的なくびれ部方向に開口する横穴式石室を推測している。 1991年から1995年に九州大学工学部の水永秀樹さんを研究団長とする電気探査で埋葬施設を探索した。成果によれば、横穴式石室は後円部中央付近の「現地面からの深さ3mから7mの範囲に存在し、石室の大きさは幅3m、高さ4m、長さ10m程度」で、南西方向に向いているという。横穴式石室の深度に疑問はあるが、南側くびれ部分の一段テラスに開口する可能性が高いとされる。
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