鉄滓(てっさい)は鉱石から鉄を精錬する際に、溶けて分離される不純物である。
鉄滓には製錬滓、精錬滓、鍛錬鍛冶滓の違いがある。弥生時代前期末から中期初頭には、 弥生時代後期には鍛冶が行われ、鉄滓がでる。 上郷深田遺跡は神奈川県内で唯一の製鉄遺跡とされる。7世紀中頃から9世紀前半に造られたと推定されている。製鉄関係と思われる18基の炉(うち14基は製錬炉)や鍛冶炉を有する竪穴状遺構、多量の砂鉄が底面に接して検出された竪穴状遺構がみつかっている。東京工業大学(当時)の川野邊教授(当時)の分析では砂鉄を原料としていたとされた。上郷深田遺跡は主に精錬(製鉄)を行なう遺跡であった。 西祖山方前遺跡出土の鉄滓(岡山市埋蔵文化財センター)は、箱形の炉に廃滓溝や防湿のための周溝が取り付く古い形態で、6世紀後半といわれている。 大久保遺跡(西条市)では、紀元前3,4世紀の大陸から運ばれた鋳造鉄器片が出土した。 新谷赤多遺跡(今治市)では、弥生時代中期末から後期の国内最古の鍛冶遺構が出土した。 松木広田遺跡(今治市)は4世紀の集落から鍛冶炉が検出され、炉の規模、鉄滓の大きさでは類例はないほどである。
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