小規模な村単位の防御から、有力豪族の居館や古墳を中心とした集権的な安全保障体制に移行した。武力による「個別自衛」から、「集団的な秩序の維持」へとシフトした。その象徴が「倭王の共立」(『魏志倭人伝』)である。地域の安全保障は、ヤマト政権や地方の有力豪族が担うようになる。
集落の構造の変化
弥生時代は「環濠で囲まれた小集落」が基本であったが、古墳時代になると「開放的な平地集落」や「豪族居館中心の権威による統治機構」へ変化した。
水利や農地整備の高度化
用水路や灌漑技術の発展により、水を効率的に確保・調整できるようになった。
排水のために環濠を使う必要性は減少した。
環濠集落の事例
- 竹内環濠集落 - 奈良県
- 萱生環濠集落 - 奈良県
- 稗田環濠集落 - 奈良県
参考文献
- 藤原哲(2011)「弥生社会における環濠集落の成立と展開」総研大文化科学研究7号, pp.59-81
- 堀内義隆(1962)「農業水利を中心とする奈良盆地の環濠集落の研究」
- 石野博信(1973)「3世紀の高城と水城」『古代学研究』68、pp.1-9,古代學研究會
- 寺沢薫(1999)「環濠集落の系譜」『古代学研究』146、pp.18
- 佐原真(1979)「弥生時代の集落」『考古学研究』25(4)、pp. 11-32。
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