飛鳥水落遺跡(あすかみずおちいせき)は奈良県明日香村にある飛鳥時代の日本で最初に造られたとされる漏刻の遺構と考えられている。
概要
飛鳥水落遺跡は飛鳥盆地の南北の中央にあり、飛鳥川東岸の平地に位置し、飛鳥寺跡の北西、石神遺跡の南にあたる。方形基壇状遺構や総柱礎石建物、水利用施設が発見されている。
確認された遺構
- (1)一辺約22.5m、高さ約1mの方形基壇状遺構が確認されている。
- (2) 基壇上には柱間約11mの四間四方・総柱の礎石建物が建っていたと考えられている。
- (3)基壇中央には台石が据えられ、その上に漆塗りの木箱を設置した痕跡が確認されている。
- (4)木樋暗渠や、サイホン方式による給水に用いられたと考えられる銅管などの水利用施設が確認されている。
- (5)小型水槽は内法37cm四方で、建物の北寄り中央に位置する。深さ1mで、建物内に口を開ける。水槽の東に貼石溝の下を抜けて建物中央に水を導く木樋と暗渠があり、その水をせき止める桝、木樋から水を汲み上げるための銅管がある。
推定
- (1)『日本書紀』斉明天皇6年(660年)条には、中大兄皇子が初めて漏刻を造ったと記されており、水落遺跡はこの漏刻台の遺跡と考えられている。小型水槽は時刻目盛を刻んだ箭を浮かべる受水槽と見られている。『日本書紀』には660年の記事のほか、671年にも漏刻に関する記事がある。
- (2)石神遺跡の南に位置する。漏刻とは水時計である。
- (3)建物は楼閣状の構造で、漏刻を設置するとともに、上層で鐘などを鳴らして時刻を知らせた鐘楼として機能したと推定されている。律令制下の陰陽寮には漏刻博士2人と守辰丁20人が置かれ、漏刻の管理を担当した。
- (4)水落遺跡の北にある石神遺跡から出土した「巳四」「午九」などの木簡も、水落遺跡との関係で注目される。これらは、後世の時刻制度にみられる時刻ごとの太鼓の打数と対応することから、時を知らせる打数を記した木簡と解釈する説がある。
調査
1972年(昭和47年)の第1次調査で遺構が確認され、1976年に国史跡に指定された。その後、1981〜1985年の第2〜6次調査などによって、遺跡の構造や水利用施設の詳細が明らかになった。周囲には掘立柱建物や塀、石敷き、長廊状建物なども確認されており、石神遺跡とともに7世紀の政治的・儀礼的空間を形成していたと考えられている。調査履歴は以下の通りである。
- 第1次調査:1972年10〜12月
- 第2次調査:1981年9〜12月
- 第3次調査:1982年10〜12月 これ以後継続調査された。
遺構
- 礎石遺物 1
- 掘立柱建物 3
- 塀 1
- 漆塗木箱 2
- 木樋暗渠 8
- 枡状遺構 1
- 小銅管 1
- 堀込地業 1
- 地中梁 1
遺物
- 土師器
- 須恵器
- 鉄製品(鉄釘、六花形飾金具など)
- 銅製品(銅釘、小銅管、大銅管など)
- 木樋
- 鋳造関係品
考察
展示
指定
- 1976年(昭和51年)2月20日 - 国指定史跡
- 1982年3月23日 追加指定
所在地等
- 名称: 飛鳥水落遺跡
- 所在地:奈良県高市郡明日香村大字飛鳥
- 交通: 近鉄「橿原神宮前」駅東口または「飛鳥」駅より奈良交通明日香周遊バス乗車。「飛鳥」下車3分。
参考文献
- 独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究(1982)「史跡飛鳥水落遺跡」
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