唐招提寺(とうしょうだいじ)は唐の高僧の鑑真和上により奈良時代中期に創建された南都六宗の一つである律宗の総本山である。
鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、759年(天平宝字3年)、官が没収していた新田部親王の旧邸宅を下賜されたのが唐招提寺の始まりである。戒律を学ぶ人たちのための修行の道場として唐招提寺を開いた。当初は戒律を説く学問所として「唐律招提」という名称であった。唐では官寺でない寺を「招提」と称しており、四方から僧が集まり居住する所を意味した。
当初の建物は講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵だけであった。僧坊は藤原清河 邸から施入された。8世紀後半の鑑真の死後に金堂が完成した。 平安末期には興福寺の末寺となった。1900年(明治33年)に興福寺から独立して律宗総本山となる。1998年(平成10年)、奈良時代の建築が残るものとして、世界遺産のひとつとして登録された。天平時代の金堂と講堂が残るのは唐招提寺だけである。金堂の柱間は中の間の三つが等間隔が一般的であるが、当金堂は中央の間から端の間に向けて逓減している。金堂の垂木の伐採年代は781年と判明しているので、金堂の建立はその数年後であろう。『招提寺流記』に、食堂は藤原仲麻呂家から施入され、羂索堂は藤原清河家から寄進されたと記される。両者とも現在は失われている。
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