高畑遺跡 (福岡市)
2025-09-16


高畑遺跡 (福岡市)(たかばたけいせき)は福岡県福岡市にある弥生時代の遺跡である。

概要

福岡平野中央部を流れる御笠川、那珂川の中下流域に高畑遺跡は所在する。低い沖積地の中に、標高3mから20mの洪積台地が島状に点々とあり、河岸段丘が発達した。那珂川と御笠川に挟まれた台地の頂部から縁辺部にかけて広がる。遺跡の北側には板付伊達形跡、比恵・那珂遺跡がある。高畑遺跡を含め、これらは『魏志倭人伝』の奴国である。

調査

昭和48年から令和4年にかけて23回の発掘調査が行われた。令和4年の第23次調査では弥生時代中期から後期の遺構、古墳時代の集落、古代の官道を検出した。 第20次調査では弥生時代の遺構として、竪穴住居3 棟と掘立柱建物7棟、井戸2基、貯蔵穴1基、木棺墓1基、土壙4基のほかに柱穴多数を検出した。竪穴住居から深さ1.75 〜 3.2mの井戸、貯蔵穴、杭列などの遺構、遺物として壷、小型甕、鉢、ミニチュア鉢、須恵器坏、無頸壷とその蓋、瓢形壷、甕、石包丁片、無頸壷、木棺墓、碧玉製管玉、土壙4基、二重口縁壷、大型器台、丹塗の高坏、小型丸底壷、手捏のミニチュア鉢、砂岩質の砥石、凝灰岩製の石包丁、エブリ、タモ網、袋状口縁壷、などを検出した。 河川跡から二又鍬、丹塗無頸壷、二重口縁壷、竪杵、一木長柄多又鋤、横槌、作業台、槽、傘轆轤、垂木を検出した。井戸から桶、井筒が出土した。 第21次調査では遺構として竪穴住居、井戸、土坑、溝、ピット、自然流路、遺物として弥生土器、土師器、須恵器、瓦、土製品、石製品、金属製品を検出した。特記事項として、青銅製鋤先や中細形銅戈鋳型が出土した。

鋳型

第21次調査で自然流路が埋没した跡に堆積した遺物包含層から、銅戈鋳型が出土した。石英長石斑岩である。単面笵であるが、笵面の裏面には戈を描いた線刻がある。青銅器生産に携わった集団が存在した。 第23次調査で石製広型銅矛鋳型が出土した。出土状況と鋳型の検討により、2点はセットと考えられる。とかした青銅を鋳型に流し込むための取瓶(とりべ)も見つかった。取瓶はすべて破片であった。取瓶の内側に銅滓が付着していた。鋳型と取瓶が出土したことにより、高畑遺跡で鋳造が行われたことが判明した。 石製広型銅矛鋳型は大牟田出土品(福岡県福岡市東区多田羅)、糸島市三雲出土品、大南遺跡出土品(春日市)など7例の報告がある。完全な形で一対で出土したことは鋳造技術の解明に役立つ。

遺構

遺物

指定

展示

アクセス

参考文献

  1. 福岡市教育委員会(2002)「高畑遺跡」福岡市埋蔵文化財調査報告書第699集
  2. 福岡市教育委員会(2012)「高畑遺跡」福岡市埋蔵文化財調査報告書第1150集
  3. 福岡市教育委員会(2016)「高畑遺跡」福岡市埋蔵文化財調査報告書第1284集
  4. 福岡市教育委員会(2024)「高畑遺跡」福岡市埋蔵文化財調査報告書第1504集
[弥生時代]

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