赤山陣屋跡遺跡(あかやまじんやあといせき)は、埼玉県川口市にある縄文時代の遺跡である。
大宮台地南端にあり,東を綾瀬川、西を芝川にはさまれる谷地形が発達した鳩ヶ谷支台に立地する。縄文時代のトチの実の加〓場だったと推察される「水場遺構」が出土した。「トチの実加工場跡」が検出された西側低湿地は綾瀬川へつづく浸食谷の奥に位置する。*調査 1980年代前半,東京外かく環状道路の開発に伴う調査により、台地平坦面−斜面−低湿が横断的に調査され、縄文時代草創期から晩期にわたる遺構や遺物が検出された。縄文時代後期末葉〓晩期中葉の安行式期に西側低湿地東側において「トチの実加工場跡」や「板囲い遺構」などの木組遺構が作られた。「トチの実加工場跡」遺構は、長軸9.0m,最大幅2.4m,最小幅1.9mの長方形の木組遺構である。木組遺構に近接して人為的に破砕されたトチノキの種皮が集積した「トチ塚」が2基検出された。遺構内および周辺から大型粗製土器が大量に出土し、さらに堅果類の加工具と考えられる磨石や叩石、台石などが出土した。
水場遺構は赤山陣屋跡遺跡の発掘調査を最初として、東日本を中心に多くの確認事例が報告されている。渡辺誠は用語の統一のため「アク抜きなどを主とする植物質食料の処理・加工の場であり、台所的な場所である」と水さらし場遺構を再定義した。水場遺構の形態を江原英(1996)は寺野東遺跡をもとに、木を組んで造っているものをA類、谷自体への人為的な造作によるものをB類、谷へかかる斜面を形成して谷の流水を利用するC類に分け、さらにA類を4分類した。佐々木由香(2000)は堅果類の加工処理に限定されない多様な低地利用の存在を指摘し、堅果類の加工処理の場と理解されつつあった「水場遺構」を「水場空間」・「水場施設」・「水場遺物」という3レベルに分類し、再定義した。
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