土生遺跡 (佐賀)(はぶいせき)は、佐賀県小城市にある弥生時代前期末から弥生時代中期の農耕集落遺跡である。
佐賀平野の北の天山山系を源流とする祇園川と晴気川によって形成された扇状地上に位置する。佐賀平野西部において最大規模の遺跡である。南北約150m、東西約250mの範囲に広がる平地集落遺跡である。 遺跡から住居跡が発見され、多数の木製農耕具・石器・土器などが検出された。本遺跡の性格は、伴出する城の越式土器などから、主として弥生式時代中期の農耕集落遺跡と見られる。出土した遺物には胴部に牛角状の把手をもつ壺や口縁部に粘土紐を貼り付けた瓶があり、朝鮮の無文土器の影響が指摘されている。住居跡と推定される柱根十数本は、直径30cm前後であり、底部には筏穴を設けるなど、弥生時代の建築部材としては独特である。住居跡・貯蔵穴・井戸跡などが確認されている。 朝鮮半島からの渡来人が在来の人々と一緒に居住していたことが判明している。 遺跡は土生遺跡公園として整備されている。
1971年(昭和46年)8月27日、三日月町(現小城市)の石炭鉱害水田復旧工事現場で偶然発見された遺跡である。9月に緊急発掘調査を実施した。耕作土下25cmから多量の土器片と木片が出土した。1972年(昭和47年)10月に第二次調査を実施した。 多量の弥生土器(壺形土器、鉢形土器、甕型土器、蓋形土器、高坏形土器、器台形土器)と鋤や全長43cmの二叉鍬、全長62cmの板鋤、斧、柄鍬・竪杵・杓子・織具などの木製農工具、石剣、石斧、石戈、石包丁、漆器4例、3cm角の麻布、が発見された。 平成4年度に銅ヤリガンナ鋳型1点、13年度に青銅器鋳型2点、14年度には青銅器鋳型4点が出土した。
出土した踏鋤は木製の組合せ式であり、柄・鋤身・鐔・楔の四部材から構成されている。朝 鮮半島では「タビ」と呼ばれ、韓国大田出土の踏鋤は畑を耕す道具とされる。全体の形状がはっきりと判明する例は珍しい。
九州大学による鑑定結果は「BP2590±200」であった。紀元前650年頃であろうか。
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