中尾山古墳
2026-01-31


中尾山古墳(なかおやまこふん)は、奈良県高市郡明日香村に所在する終末期古墳で、八角形墳として知られる。現在、世界遺産登録を目指す「飛鳥・藤原の宮都とその関連資産群」の構成資産(候補)の一つである。

概要

1974年(昭和49年)に実施された本格的な発掘調査により、墳丘が対辺長約30mの三段築成八角形墳であることが判明した。さらに2020年(令和2年)の調査によって、墳丘外周に三重の石敷が巡る構造であることや、石積・葺石の具体的な施工方法が詳細に明らかとなった。なお、これ以前の調査段階では円墳と推定されていた時期もあった。

墳丘は、一段目および二段目が基壇状の石積構造、三段目が土盛りによる築成である。一段目・二段目の表面では、裾部に花崗岩製の根石を据え、その上に拳大から人頭大の石材を用いた小口積を施し、さらに上部には根石と同様の石材を用いて石積を構築している。

葺石には大型の河原石を主体とし、斜面および平坦部に厚く敷設されている。八角形の稜角部には特に大形の玉石が配され、墳丘外周部も全面的に玉石敷とされるなど、視覚的効果を強く意識した構成が認められる。

埋葬施設は火葬骨を納める横口式石槨で、切石10石から構成される。内訳は、底石1石、側壁石2石、奥壁石1石、閉塞石1石、天井石1石、隅石(柱石)4石である。石槨内部は約90cm四方と極めて小さく、火葬された遺骨を容器に収めて安置していたと考えられる。

石槨南側からは、幅約3.2m、深さ約1.3mの墓道が検出されており、その床面下層には、川原石を充填した幅約55cm、深さ約17cmの暗渠排水溝が設けられている。外周石敷の第一重上面からは沓形石造物が出土しており、材質は火山礫凝灰岩(竜山石)である。

江戸時代の地誌である並河誠所・関祖衡(1736)『大和志』には、「平田村に在り、俗に中尾石墓と呼ぶ」と記され、墳丘上や周辺に河原石が大量に散乱していること、墳頂から東方にかけて盗掘孔が存在し、長さ約1.2mの天井石が露出していることが記録されている。

明治14年頃には、葺石や大型石材が庭石や建築・道路用石材として売却され、墳丘の破壊が進行した。

本古墳は、八角形墳・火葬施設・横口式石槨を備える点から、天武・持統朝以降の皇族墓制と密接に関連すると考えられ、第42代文武天皇の陵に比定する説が現在最も有力視されている。

八角墳の位置付け


続きを読む

[古墳時代]

コメント(全0件)
コメントをする


記事を書く
powered by ASAHIネット