堂ケ谷戸遺跡(どうがやといせき)は東京都世田谷区に所在する、旧石器時代から近世に至るまでの長期的な人間活動の痕跡が重層的に確認されている複合遺跡である。表記については「堂ヶ谷戸遺跡」とされることもある。
東京都域の地形は、大きく台地部と低地部に分けられ、堂ケ谷戸遺跡はこのうち武蔵野台地上に位置する。武蔵野台地は、古多摩川による堆積作用で形成された扇状地性の段丘面であり、西方から東方へと緩やかに広がっている。 本遺跡は、多摩川水系に属する谷戸川と仙川の合流域に近接する台地縁辺部から台地基部にかけて展開し、標高約38mの段丘面上に立地する点に特徴がある。遺跡の広がりは、現時点で東西約38m、南北約540mに及ぶ可能性が指摘されている。
周辺の武蔵野段丘上には、大蔵遺跡や総合運動場遺跡、下山北遺跡、下山遺跡など、縄文時代を中心とした集落遺跡が点在する。一方、台地斜面部には堂ケ谷戸横穴墓群や岡本原横穴墓群といった古墳時代の墓域が形成されており、本地域が時代ごとに異なる土地利用を受けてきたことがうかがえる。
堂ケ谷戸遺跡の出土資料の中でも特に注目されるのが、把手部分に人の顔を表現した装飾を伴う土器、いわゆる顔面把手付土器である。顔面表現と胴部が一体的に示された例は、世田谷区内では本遺跡の出土が初例とされ、地域的にも重要な資料と位置づけられている。
2019年(平成31年)2月に実施された第61次調査では、4号土坑から装飾性の高い小形土器が出土した。この土器は高さ約15.4cmの樽形を呈し、口縁部の一部を欠くものの、全体の形状はほぼ良好に残存している。 口縁直下には無文帯が設けられ、胴部の最大径付近に3条、底部直上に2条の横走隆帯が巡らされ、文様構成は上下2つの施文域に分けられる。隆帯によって区画された内部には、三角形や菱形を組み合わせた幾何学的構成が見られ、隆帯内側には角押文が施されている。また、胴部下半には長短の切り込みが上下方向に連続して配置される。
これらの特徴から、本資料は縄文時代中期の新道式土器2段階に比定されている。文様の中には、下向きの三日月状の胴体と円形あるいはC字形の頭部をもつ抽象的表現が認められ、サンショウウオ文あるいはミズチ文と呼ばれる意匠との関連が指摘されている。 同様の土偶装飾付土器の出土例としては、国立市の南養寺遺跡、町田市の木曽中学校遺跡や藤の台遺跡などが知られており、南関東内陸部における精神文化・象徴表現を考える上で比較資料となる。
2023年に実施された第64次調査では、縄文時代中期中葉から後葉にかけての集落遺構が集中的に検出された。確認された遺構は、竪穴住居跡11軒、土坑16基、ピット38基に及び、住居跡は弧を描くように配置されている点が特徴的である。
住居跡から出土した土器の型式を見ると、23号住居跡では勝坂式3段階、282号住居跡では加曽利E2式、288号住居跡では加曽利E1式が確認されており、集落の形成と変遷を具体的にたどることが可能となっている。 また、縄文期の遺構に加え、弥生時代の方形周溝墓も検出されており、堂ケ谷戸遺跡が長期間にわたって断続的に利用されてきた土地であることが明確になった。
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