梁瀬二子塚古墳(やなせふたごづかこふん)は、群馬県安中市簗瀬に所在する古墳時代後期初頭に築造された前方後円墳である。
根川水系の一級河川である碓氷川左岸の河岸段丘縁辺部、標高約220mに立地する。前方部を西方に向ける。
本古墳は、古墳時代後期初頭において安中市域一帯を支配した有力首長の墓と想定されている。埋葬施設が竪穴式石室から横穴式石室へと移行する時期に位置づけられる前方後円墳であり、群馬県内における横穴式石室導入期の様相を示す重要な事例の一つである。横穴式石室は東日本における初期段階の例に属すると考えられている。
また、梁瀬二子塚古墳は、古東山道(現在の国道18号付近と推定されるルート)沿いに立地しており、交通路との関係からも被葬者の政治的・社会的地位をうかがうことができる。
1本古墳の石室は、1879年(明治12年)に初めて開口され、多数の副葬品が出土した。鉄製品としては、摺環頭大刀(三輪玉で装飾された勾金付き大刀)、直刀、刀子、鹿角装刀子、鉄鏃(長三角形鏃)、弓両頭金具、挂甲小札、馬具、石突、釣針、針、槍鉋などがある。特に、長三角形鏃の茎部には径約1.5cm前後、幅約1cmの鉄製金具が装着されており、この特徴は6世紀初頭に位置づけられる高崎市少林山台遺跡12号古墳出土例と共通する。
馬具類は質・量ともに充実しており、木芯鉄板張壺鐙の側板、鞍縁金具、鉄地金銅張の吊金具・辻金具、鉄地銀張の責金具などが確認されている。帯金具には鉄地金銅張製および青銅製のものがある。なかでも、鉄地金銅張の花弁形杏葉は本古墳出土品のなかで特に注目される。花弁形杏葉は全長約10cmで、中央部がややくびれ、下部が丸みを帯びる形態を呈し、6世紀前半の特徴を示す。
装身具としては、ヒスイ製勾玉、碧玉製管玉、琥珀製丸玉、水晶製丸玉・切子玉・算盤形玉、金層ガラス三連玉、ガラス製丸玉・小玉、垂飾付耳飾などが出土している。このうち金層ガラス三連玉は、梁瀬二子塚古墳と埼玉県美里町白石久保1号墳の2例のみが確認されている極めて稀少な資料である。垂飾付耳飾は金銅製で、兵庫鎖および花鬘の構成部材と考えられている。
これらの出土品は小森谷家に伝来し、現在も同家に保管されている(群馬県安中市教育委員会2003『小森谷家所蔵資料』p.106)。
石室入口部の東西壁面は、明治期の開口時に一度取り外され、その後、大谷石製の石枠を組み込んで積み替えられたものと判断されている。埋葬施設は後円部に構築された横穴式石室であり、玄室長4.07m、玄室幅2.32m、羨道長7.47m、羨道幅0.95m、全長11.54mを測る。羨道入口側から階段状に2段下がって玄室に至る構造を持ち、玄室に比して羨道が細長い点が特徴である。
玄室内はベンガラによる塗彩が施されている。石材は、壁体が川原石の乱石積み、天井石が硬質凝灰岩(秋間石)で構成される。彩色は側壁下端および奥壁第2石目の横積み部分までに限られ、それより下部には認められない。このため、彩色が施された高さが当時の床面を示す可能性が指摘されている。
本古墳は昭和32年に群馬大学の尾崎喜左雄氏による調査が行われたほか、平成7年度から平成9年度にかけて、安中市史編さん事業の一環として3か年にわたる発掘調査が実施された。
梁瀬二子塚古墳の出土品は個人所蔵とされている。群馬県または安中市に寄贈し、博物館公開とするのが筋ではなかろうか。
セコメントをする