武寧王
2024-10-17


武寧王が昆支王の長子だったとすれば、東城王が第2子となるから整合性はありそうだ。文斤王も13歳で即位したので、東城王が13歳くらいで即位したとしても不思議ではない。百済内部の派閥争いで、東城王が擁立されたのか、または両者は母親が違うので、東城王は正妻の子であったから優先された可能性もある。百済でも正妻(王妃)の子と妾の子とでは格差があったかもしれない。『日本書紀』の「蓋鹵王の子」が正しいとすれば、東城王と武寧とは父親も母親も違うことになりそうだ。いずれにしても、この時代については『日本書紀』も『三国史記』も百済王族の親子関係の記述が混乱しているので、正確には判断しにくい。

参考文献

  1. 太田亮(1942)『姓氏家系大辞典』磯部甲陽堂
  2. 坂本太郎, 井上光貞,家永三郎,大野晋 (1994)『日本書紀』岩波書店
  3. 金 富軾, 井上秀雄訳(1980)『三国史記』平凡社

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