芹生谷遺跡(せりゅうたにいせき/せるたにいせき)は、大阪府河南町芹生谷にある古墳時代から南北朝時代にかけての複合遺跡である。
金剛・葛城山系の西斜面に位置し、古代より南河内と大和を結ぶ交通の要衝として古代から重要な位置にある。周溝が古墳の形や大きさをしのばせる。
平成20年12月から平成21年2月にかけて、河南町芹生谷・千早赤阪村川野辺において、一般国道309号(河南赤阪バイパス)道路整備事業にともなう芹生谷遺跡の発掘調査を行った。調査では、平安時代から鎌倉時代頃、9世紀から14世紀に相当する掘立柱建物の柱穴や畑の鋤溝跡などが見つかった。付近には当時の首長の墓とされる国史跡の金山古墳があり、古墳造営労働者の臨時宿舎の可能性があるとみられる。 水田の下に古墳を4基発見した(石塚古墳群)。横穴式石室は良好な状態であった。
古墳時代後期の掘立柱建物跡が1棟、竪穴住居跡が4棟、南北朝時代の掘立柱建物が1棟検出された。
発見された土器は古墳時代後期(6世紀後半頃)と南北朝時代(14世紀前半頃)のものが大半であった。
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