千塔山遺跡(せんどうやまいせき)は佐賀県三養基郡基山町にある弥生時代の環濠集落遺跡である。
佐賀県三養基郡基山町大字宮浦字宿の標高50mの丘陵に位置する。弥生時代末期の環濠集落跡である。
全面調査されており弥生時代の全時期の集落を知るための遺跡として重要である。発掘調査の結果、約40棟の竪穴式住居跡が確認された。集落の周囲は断面が「V」字形や「U」字形の溝に囲まれていた。弥生中期の集落は環濠を欠き、貯蔵穴を伴う住居群は、台地中央部に環状に分布する。弥生後期中頃に環濠が現れる。環濠はほぼ長方形となり、後期後半には拡大される。住居群は環濠の内外に4群が認められる。倉庫とみられる掘立柱建物は環濠内に限られる。
後期の住居から鉄鏃、環濠から青銅製鋤鋤先、斧、鋤先、鎌などが出土した。青銅製鋤先は、溝や住居跡から計7点出土し、そのうち2点は完形であった。 そのほか弥生土器、砥石、石庖丁、石鏃、鉄器、石器など。
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