高松塚古墳(たかまつづかこふん, Takamatsuzuka Tumulus)は奈良県高市郡明日香村にある円墳である。
文武天皇陵の北東にある小さな円墳である。石室内に壁画が描かれている古墳は国内で、キトラ古墳と高松塚古墳だけである。中国や朝鮮の同時代の古墳では、石室内に壁画が描かれている例が多いが、日本では墓に絵を描く風習はないため、高松塚古墳とキトラ古墳の被葬者は日本人ではない可能性が高いと推定される。女子群像の服装は、高句麗古墳の愁撫塚や舞踊塚の壁画の婦人像の服装と似るとされている。
1962(昭和37)年頃、明日香村檜前の村人がショウガを貯蔵するため直径約60cmの穴を掘ったところ、穴の奥に擬灰岩の四角い切石が見つかった。1970年(昭和45年)に古墳近くに遊歩道を設置するための調査が必要となり、奈良県立橿原考古学研究所に発掘調査を依頼した。1972年3月に極彩色の壁画が発見された。戦後最大の発見として大きな注目を集める。石槨内部には古代中国道教の影響を受け、東壁には青龍と日像、西壁には白虎と月像、北壁には玄武、東西の両脇には人物像(4人ずつ計16人の男女の群像)、天井には星宿図が描かれている。すでに盗掘されていた石槨から,海獣葡萄鏡や刀剣金具をはじめ人骨がも出土した。
2005年の発掘調査により、藤原京期694年 - 710年の間だと確定された。
定説はない。被葬者は7~8世紀の皇子とみられる身長163cm前後の45歳から63歳の男性とされる。忍壁皇子説(直木孝次郎)、高市皇子説(;原田大六)、石上麻呂説(;岡本健一)、百済王禅光説(千田稔)などがある。
壁画発見当時の精密な壁画模写「現状模写」をはじめ、剥落や汚れを加減した模写「一部復元模写」、さらに凝灰岩に漆喰を塗り再現した「再現模造模写」、棺を納めていた石槨を復元した「石槨模型」のほか、副葬されていた太刀装飾金具、木棺金具、海獣葡萄鏡などの「副葬品レプリカ」を展示 隣接する高松塚壁画館で、精巧な模写や石槨の模型が展示される。
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