西ノ城古墳(にしのしろこふん)は福岡県うきは市に所在する3世紀後半の双方中円墳である。
うきは市の市街地を見下ろす耳納連山中腹の高台に位置する。
公園を造成する計画がされたためうきは市教委が2020年度に発掘調査をしたところ、墳丘の表面に石を貼り付ける葺石が見つかり、古墳と判明した。形状が珍しく、円墳に東西に短い突出部が付いている双方中円墳である。最古級の双方中円墳とされる。 福岡大学の桃崎祐輔教授によれば、「双方中円墳は弥生時代後期の墳丘墓が発展し、4世紀ごろに築造が始まったとされていた。確認例は奈良県天理市の櫛山古墳や香川県高松市の猫塚古墳など全国で数例のみで、西ノ城古墳の発見により築造年代がさかのぼる可能性が出てきた」と語る。うきは市教育委員会は西ノ城古墳の史跡指定を目指し、来年度も調査を続ける方針である。
形墳丘の頂部では、板状の石を組んで造った埋葬施設が2基検出された。木棺と石棺による埋葬の跡である。弥生時代の集団墓の特徴とされる。3〜4世紀の古墳は1人の首長のために築かれることが多いため西ノ城古墳のように多数の埋葬施設があるのは古墳のスタイルが確立する前の、弥生時代の「弥生墳丘墓」に近い。うきは市教育委員会は一帯を治めた豪族と親族、側近らが埋葬されたと考えられるとする。調査を担当したうきは市教育委員会生涯学習課・大津諒太は「土器が少ないことも古い古墳の特徴」と指摘する。
出土した土器片から古墳時代前期初頭(3世紀後半)の築造と推定されている。
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