鋤崎古墳(すきざきこふん)は福岡県福岡市西区今宿字鋤崎 に位置する4世紀末から5世紀初頭に築造された前方後円墳である。
鋤崎古墳付近 は糸島平野と早良平野を結ぶ交通要衝の地にある全長 62mの3段築成の古墳である。各斜面に葺石を貼り円筒埴輪列を巡らしている。今宿古墳群の首長墓に位置づけられる。出土した鉄刀は朝鮮半島南部との交流のもとに日本列島で成立したとみられる福岡市教育委員会(2002)。〓製鏡の副葬は中国に先行した可能性が指摘されている福岡市教育委員会(2002)。副葬品の組み合わせから、最初の首長は女性の可能性が指摘される。石室内の玄室に、材料の異なる3基の棺が設置されている。
1981〜83年に福岡市教育委員会が調査した。
主体部は後円部の玄武岩割石積の竪穴式石室で、内部に箱式石棺・埴質棺・木棺痕跡の計3つの棺が検出された。古式の横穴式石室が未盗掘で検出され、横穴式石室の出現と変遷をの第一級資料である。[百済]]の墓制の影響により成立したと想定される。
銅鏡6面、素環頭鉄刀2、勾玉、管玉、矛、中国鏡、長方板皮綴短甲、鉄製武器、農工具、玉類、銅釧、くし等が出土した。銅鏡6面は中国鏡2面&(内行花文鏡、双頭龍文鏡)、〓製鏡4(四獣鏡2、捩文鏡1、珠文鏡1)である。
石室は埋め戻されているが、石室の実物大のレプリカは福岡市博物館にある。
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