平群木菟(へぐりのつく、5世紀後半)は古墳時代の豪族である。
蘇我石川宿禰の子とされる。子は平群真鳥。
『日本書紀』仁徳天皇元年正月3日条、平群木菟は武内宿禰の子とする。 仁徳が生まれるときに木菟(みみずく)が産屋に入った。応神は武内宿禰大臣に質問したところ、吉兆と言い、武内宿禰の子が生まれたときにサザキ(鷦鷯)が産屋の飛びこんだ。応神はどちらも瑞兆である、名を取り換えようと言い、武内宿禰の子の名に木菟と付け、応神の子に鷦鷯とつけた。木菟は平群氏の祖となったという。
武内宿禰-平群木菟-平群真鳥-平群鮪-(略)- 平群神手-平群宇志
履中の即位前の皇太子の時、瑞歯別皇子に木菟宿禰を添えて派遣したとされる。
日本書紀履中二年(401)年に、磐余に宮廷を作り、平群木菟は蘇我満智、物部伊〓弗、葛城円とともに政務をとったと記載される。
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