赤堀茶臼山古墳
2024-05-26


赤堀茶臼山古墳(あかほりちゃうすやまこふん)は群馬県伊勢崎市にある前方後円墳(帆立貝形古墳)である。「今井茶臼山古墳」と呼ばれることがある

概要

伊勢崎市の北西端の多田山丘陵上の標高145mに所在する前方後円墳である。

発掘調査

1929年(昭和4年)帝室博物館(現東京国立博物館)によって調査され、総指揮の帝室博物館の後藤守一の下、博物館職員、群馬県職員、郷土史研究者、青年団員らが参加して10日間実施された。1995年に赤堀町教委が再調査を行い、後藤先生が掘り残した鶏形埴輪を検出した。 1号木炭槨から六神像鏡・刀・剣・鉾・鉄斧・三角板革綴短甲・三角板革綴衝角付冑、鉄鏃・石製模造品が出土した。2号木炭槨から内行花文鏡・大刀が検出された。後円部には2個の木炭槨があり、神獣鏡や内行花文鏡、短甲をはじめとする副葬品が出土した。帝室博物館(東京国立博物館蔵)で出土した埴輪は東京国立博物館、赤堀町教育委員会調査で出土した埴輪は赤堀歴史民俗資料館にそれぞれ収蔵される。

重要性

1929年(昭和4年)の発掘調査で出土した家形埴輪8棟、機材埴輪は、後藤守一の研究により古墳時代の豪族(被葬者)の屋敷配置をうかがうことができ、また埴輪祭祀を知る上で、古墳研究史上、全国的にも例のない貴重なものとされる。 堅魚木(かつおぎ)をもつ家形埴輪(切妻造家)3棟、切妻造倉庫4棟、納屋1棟は当時の高床建物、倉庫の参考となる。亡き首長の霊が宿る形代として、埴輪群のなかで中心に置かれたものである。

鶏形埴輪の復元

出土した鶏形埴輪は、3キロメートル離れた埴輪工房の釜ノ口遺跡から出土した羽と接合する事実が判明している。埴輪工房から古墳へ移動した、という動物埴輪の流れを遺物で確実に判明したのは初めてである。鶏形埴輪は高さ79cm、長さ71.5cmで羽や羽毛の表現が巧みである。5世紀中頃のものとみられ、国内一級品の資料となる。東京国立博物館に所蔵されている資料とを比較したところ、首の下のひだ部分、肉ぜんの大きさで雄と雌が判明している。川道亨館長は「釜ノ口遺跡の工房近くで埴輪を焼いた際に、羽の一部が落ち、そのまま現地に残されたのだろう」と語る(朝日新聞)。 群馬県伊勢崎市赤堀歴史民俗資料館は、赤堀茶臼山古墳から破損した状態で見つかった鶏形埴輪の全身像を復元した。鶏形埴輪の全身復元像としては東日本最古である。力強い両脚と蹴爪などから雄鶏と判明した。復元の結果、当時のヤマト王権が使用した埴輪と特徴が酷似していることが判明した。

規模

主体部

外表施設

遺物

築造時期

被葬者

展示

指定

アクセス等 

参考文献

  1. 朝日新聞(2022)「鶏の埴輪、3キロ先の破片とぴったり」2022年9月6日
  2. 群馬県赤堀町教育委員会(1998)『赤堀茶臼山古墳範囲確認第3次調査』群馬県佐波郡赤堀町文化財調査報告50
  3. 前橋市教育委員会事務局文化財保護課(2016)『赤城山南麓の古墳』
  4. 江上波夫(1993)『日本古代史辞典』大和書房

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[古墳時代]

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