岸田遺跡(きしだいせき)は福岡県福岡市にある弥生時代を中心とする大規模な集落遺跡・墓地遺跡である。
早良平野が狭まる最南部に位置し平野が一望できる標高50mの丘陵地にある。東入部遺跡よりさらに約1km上流である。銅剣・銅矛などが大量に出土した遺跡である。弥生時代の集落が、中期後半になると、「クニ」に投稿される頃である。岸田遺跡ではその証拠は見つからないが、有力な集落の一つであるから、手がかりが得られる可能性がある。早良平野から東の福岡平野南部や南の佐賀平野に移動する交通の要衝にある。早良平野は中期初め(紀元前3世紀)に最大の勢力となり、北部九州における「王墓」や「国」の原型を生み出したと考えられてきたが、その後は、抜きんでた勢力とはならなかった。
福岡市教育委員会が区画整理事業に伴い福岡市早良区早良地内において2009年(平成21年)から2010年(平成22年)にかけて実施した岸田遺跡第1次発掘調査で出土した。試掘トレンチの総数は321である。弥生時代の甕棺墓78基、木棺墓、土壙墓8基を発見した。調査したところ、弥生時代中期初頭の甕棺墓4基、木棺墓1基から、銅剣5点、銅矛3点、青銅製把頭飾1点が副葬品として見つかった。青銅武器は通常、1つの遺跡で1点から3点であるが、9点が見つかった。弥生時代の有力な集落であったと考えられる。銅矛には刃部に布目痕跡が付着することから布を巻いて副葬したとわかるものがある。鉄戈のほぞ穴には紐の痕跡が確認でき、また柄の木質が一部付着することから、柄に着装した状態で甕棺内に副葬されたと判断できる。青銅製把頭飾は高さ6.2cmを測り国内最大かつ国内最古であった。 上甕の口径は72cm、器高94cm、底部径13cmであるが、サイズの割に器壁は1cmと非常に薄い作りで技術力が高い。内面外面が黒く塗られている。鉄戈は今のところ福岡市で唯一の発見であり、貴重である。
把頭飾や他の甕棺墓の銅剣は、朝鮮半島とは異なる鋳造技術や形態のものも含まれており、日本列島に青銅器が流入する早い段階から北部九州での青銅器生産が本格化したことを物語る。朝鮮半島のほか、福岡平野や佐賀平野で作られた青銅器が多い。
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