魏志倭人伝(ぎしわじんでん)は歴史書『三国志』の中の第30巻「烏丸鮮卑東夷伝」倭人条をいう。陳寿の撰による。
概ね3世紀後半(280年から297年頃)の間の出来事を記述し、当時の日本列島の倭人の様子、慣習・風俗を描いている。陳寿『漢書』地理志と『魏略』(散逸)その他を参考にしたと言われる。3世紀頃の日本(倭国)の状況を知るための基本資料となっている。
当時の日本(倭)に邪馬台国があり、女王の卑弥呼が統治し、約30国を従えていたと記載される。また倭国の政治、外交、社会、風俗、習慣、産物などが述べられる。
邪馬台国の候補地は60以上あるが、大きくは有力な説として、(畿内)大和説と九州説に分かれる。江戸時代に本居宣長は九州説を主張した。明治時代の歴史学者である京都帝国大学教授の内藤虎次郎(内藤湖南)は邪馬台国畿内説を唱える。一方、東京帝国大学(現:東京大学)教授の白鳥庫吉は「邪馬台国北九州説」を主張する。
「魏志倭人伝」は-「陳寿」の記した「三国志」の中の「魏書東夷伝倭人条」の通称である。 「魏志」の中で最後の巻が「烏丸伝、鮮卑伝、東夷伝」である。「東夷伝」は9条あり、扶余、高句麗、東沃沮、?婁(わうろ)、?(わい)、韓(馬韓、弁韓、辰韓)等の諸部族に続いてその列伝の最後に「倭人条」がある。「倭人条」は約2000字(正確には1983文字)であり、30巻中で最も長文である。
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