都塚古墳
2024-12-14


都塚古墳(みやこづかこふん)は奈良県高市郡明日香村阪田にある方墳である。 別名を「金鳥塚」と呼ばれる。

概要

南北に伸びる尾根の先端の傾斜地に位置する。都塚古墳では毎年正月元旦に金鶏が鳴く「金鶏伝説」がある。石舞台古墳から徒歩10分程の距離にある。石舞台古墳に先行する古墳である。1967年に関西大学の発掘調査が行われ、木棺の追葬があったとされる。墳丘は階段状に垂直に石積みされた"階段ピラミッド"のような外観であったとされる。調査した関西大学の米田文孝教授は「階段ピラミッド形」の墳墓は百済や高句麗などでみられるが、1世紀以上時期が異なり、切り石を積むなど構造も異なる。内外で類例がないか、さらに確認する必要がある」と話した。中国・朝鮮半島の積石塚を参考にして築造されたとする説もある。 段築は5段以上あったとみられ、1段の高さは30〜60cm。段の部分に拳大から人頭大の石を垂直に積み上げていた。墳丘の周囲を巡る幅1〜1.5メートルの周濠跡も見つかった。

石室

江戸時代に既に入り口が開いており、家形石棺を納めていることが知られていた。盗掘に遭っているため、副葬品のほとんどは散逸している。埋葬施設は南に開口する横穴式石室であり、石室は石英閃緑岩を使った両袖式横穴式(全長12.2m)である。玄室長は5.3m、幅2.8m、高さ3.55m、羨道長6.9m、幅1.9〜2.0m、高さ約2m) で、南西方向に開口する。

石棺

玄室内には二上山の凝灰岩を使用した家形石棺が安置されている。 棺は刳抜式家形石棺(二上山産白色凝灰岩)6個の縄掛け突起がある。石棺の規模は棺身の長さ2.23m、幅1.46m、高さ1.08mで、内法は長さ1.74m、幅0.82m、深さ0.65mを測り石棺の総高は1.72m。

規模

遺構

遺物

被葬者

被葬者は馬子の父、蘇我稲目など同氏の有力者の説や渡来系氏族との説がある。付近一帯には蘇我氏の本拠地であり、蘇我馬子の墓と推定される石舞台古墳や、馬子の邸宅と推定される島庄遺跡がある。石舞台古墳と開口方向が同じ両袖式横穴式石室である。

築造

6世紀末

指定

アクセス等

参考文献

  1. 大塚初重(2019)『巨大古墳の歩き方』宝島社
[古墳時代]

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