宮後遺跡(みやうしろいせき)は茨城県東茨城郡茨城町に所在する縄文時代の遺跡である。
縄文時代から中世にかけての複合遺跡である。茨城県中央部を流れる涸沼前川の左岸の台地上に位置する。 縄文時代中期中葉から中期複葉にかけては直径160mの環状集落が形成された。環状集落の中央部に土壙墓群200基が形成されていた。土壙墓からはヒスイ製大珠1点、ヒスイ製首飾、琥珀性の玉飾り2点が出土した。ヒスイは新潟県糸魚川の周辺産である。ヒスイ製大珠は長さ11cmである。海老澤稔氏は出土沖を諏訪式土器の4段階の変遷案を提唱した。横山仁氏は手の形状と有無,目線部文様帯の形状と施文方法,胴部磨消懸垂文の有無、文様帯の区分を分類基準として採用し、加曽利E式土器として4段階に分類した。第1号土坑墓から出土した大珠は中心部のリーダーと思われる土坑に副葬されているため、威信財と考えられている。
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