銅〓(どうふく)は弥生時代の銅製容器である。
佐護クビル遺跡出土の銅〓が知られている。そろばんの珠のような形である。
後藤守一(1922)はクビル遺跡の出土例が東京帝室博物館に収蔵される際、対馬国佐須奈村で発見された遺物を発表し、銅〓の名を使用した。〓は十巻本和名抄に「つり下げて物を煮たきする口の大きい釜」とされる。『辞源』には「瓮(オウ)に似たり、釜の大口なるもの」とされる。瓮は口の大きなかめの意味である。
銅〓の上に甑(こしき)を置いて、カマドに掛けて蒸し器として使用した。湯をわかすための容器とする説もある。
荒友里子・畠山禎他(2012)は初期遊牧民の調理具である銅〓をとりあげ、鋳造史や鋳金、ユーラシア史、考古学など異分野の研究者が協力して、鋳造技術や施文方法を検討した。銅〓の鋳造技術には2 系統がみられる点を指摘している。
倭国ではあまり見ない形の青銅器である。カマドと同時に使われるので、大陸か半島経由で持ち込まれたものであろう。胴が円形に広がり、底はすぼまる。
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