北島遺跡(きたじまいせき)は埼玉県熊谷市にある弥生時代から平安時代にかけての大規模な集落遺跡である。
北島遺跡は古代では武蔵国幡羅郡に属し、郡家の正倉群が確認された遺跡である。北島遺跡は現在の熊谷市街から北東に約3km、市内を南東に流れる星川左岸の沖積低地にある自然堤防上に位置する。弥生時代の水田、埴輪を並べた古墳、古代の豪族「館」などは、重要な発見となった。
検出された住居跡は合計70軒で、調査区北側よりにまとまっていた。住居跡の形態は隅丸方形ものと小判形のものとがあり、規模は4mから10m前後である。 水路は堰から分水するために南東方向にほぼ直線的に開削した溝で北西方向と南東方向に開析する自然の谷地形を利用して作られた。検出された溝は全長90m、上幅約7m,下幅約3mの逆台形を呈しており、深さ約2mである。 第17地点で住居跡が15軒検出された。時期についは、少ない遺物ではあるが、台付甕(S字甕を含む)や、小型器台などの器種がそ ろっていることと、器面調整の特徴から判断すれば、古墳時代前期の五領式期の住居跡と見られる。古墳時代になると今まで(弥生時代に)長方形であった平面形が方形に変わったと判断された。住居跡から、吉ヶ谷系、樽系の弥生上器の系譜を引く土器が出土している。水田区画の面積は、最大で29.8m2、最小で7.04m2、平均15.7m2である。平均面積では、群馬県の浅間C火山灰下から検出された浜川高田遺跡の13.731m2に近い。水田跡に馬もしくは 牛の足跡などは検出されていないので牛馬耕が行なわれていたという証拠はない。
コメントをする