金冠塚古墳
2024-07-10


金冠塚古墳(きんかんづかこふん)は群馬県前橋市にある古墳時代の前方後円墳である。 「山王金冠塚古墳」「上陽村14号墳」ともいう。

概要

金銅製冠を出土したことで知られる古墳である。旧利根川が前橋台地を浸食して形成された、河岸崖沿の台地に所在する。朝倉・広瀬古墳群を構成する古墳の1つである。 かって「山王二子山古墳」と呼ばれていたが、1889年(明治40年、案内板は大正4年)、横穴式石室から金冠の金属片が多数出土したので、「金冠塚古墳」という名称で統一された。戦前に出土した遺物は、帝室博物館(東京国立博物館)で収蔵する。20年後に金銅製冠が復元された。 標高84m。墳丘一部現存。1907年乱掘あり。石室内はすでに荒らされていた。

発掘調査

1981年、前橋市教育委員会が調査した。 埋葬施設は南に開口する横穴式石室であり、全長約7.5m、奥壁の幅2.5m、後室・前室・羨道からなる複室構造である。榛名山二ツ岳起源の軽石(角閃石安山岩)を加工して積み上げて造られた。天井石は150cm×215cmの複輝石安山岩で羨道部に使用されたものと思われる。 葺石は根石に長径20cmから45cm、厚さ15cmから30cmの大きめの河原石を使用し、その上に長径20cm、厚さ5cmから7cmの扁平な河原石を小口積みとする。石室内から副葬品として金銅製冠・金銅製大帯・冑のほか装身具・武器・武具・馬具など多数が出土した。 円筒埴輪、形象埴輪は多量であるが、著しい削平のため、原位置を保っていない。多くは破片であり、復元は不可能であった。鉄鏃は細身で鋭い尖根式と見られる。

金銅製冠

追葬によって床面は3層に分かれており、各層から計13体分の人骨のほか金銅製飾金具や玉類、馬具、須恵器などが出土した。大正4年(1915)に出土した金銅製冠は、古代朝鮮半島三国時代の「出の字」型の新羅式冠(山字形金冠)である。朝鮮半島の文化の影響が見られる。額に巻く帯から、頭部が宝珠形で「出」字形の装飾が立ち上がった形態の金銅製の冠である。立飾り5個を、頭にかぶる部分の輪に鋲でとめ、形を作る。細部の文様は、精巧な打ち出し技法で描き出される。東京国立博物館が所蔵する。冠が出土した古墳は奈良県の藤ノ木古墳、熊本県の江田船山古墳、栃木県の桑57号古墳(小山ゴルフクラブ内古墳群)、千葉県の浅間山古墳、茨城県の三昧塚古墳(前方後円墳)などがある。江田船山古墳の冠は百済系で対照的である。

規模

外表施設

主体部

遺物

築造時期

被葬者

展示

指定

アクセス等 

参考文献

  1. 大塚初重(1982)『古墳辞典』東京堂
  2. 前橋市教育委員会(1981)「金冠塚(山王二子山)古墳調査概報」
[古墳時代]

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