諏訪前A遺跡(すわまええーいせき)は、神奈川県平塚市にある奈良・平安時代の遺跡である。
概要
諏訪前A遺跡は相模国府跡であり、官衙域中枢にあたる。縄文時代以降の遺物が散布されている。集落形成は古墳時代以降となる。8世紀後半から9世紀の遺構が多いのは、相模国府が成立し、成熟期を迎えて遺構が増えたと思われる。
調査
第一地点
第1地点は四之宮下郷の3・4区に該当し、313基の遺構の内、住居址65軒・掘立柱建物址9棟の住居址を確認。
第3地点
- 第3地点は掘立柱建物址8棟・住居址12軒を検出した。掘立柱建物址は8世紀と10世紀、住居址は9世紀が中心である。遺物の中で注目するものは1号掘立柱建物址から出土した墨書土器である。甲斐型の土師器坏底面に「家」の墨書の他に口縁部外面に水鳥の墨絵が対角線に描がれ、棟上げなどの慶事・祭祀に使用されたと報告される。出土状況不明であるが、地鎮の性格が想定される。また、縄文土器勝坂式の完形の深鉢が逆位で出土した。沖積低地での初の縄文完形土器の出土となり、様々の問題を提起する。
第4地点
第4地点での住居址18軒は7世紀後半から10世紀後半までのもので、比較的継続的に存続したと考えます。出土遺物の特徴を上げると、墨書土器「垂」8点、銅か3点、円面硯2点や太刀の鍔があります。一般集落ではなく、官人層の住居域と考えます。第5地点は掘立柱建物址3棟・住居址24軒を検出しました。掘立3棟は9世紀であるのに対し、住居は8世紀後半から9世紀前半のものは確認されていません。遺物は灰釉陶器碗を転用した朱墨の硯や墨書土器「西」・「井」があります。
第6地点
第6地点は掘立柱建物址2棟・住居址23軒を検出しました。掘立2棟の時期は分からない。住居は8世紀前半と9世紀後半以降のものが確認されています。遺物は透かしのある銅・巡方が出土する。
第8地点
第8地点は掘立柱建物址2棟・住居址6軒を検出し、掘立2棟は8世紀前半に対し、住居は8世紀前半と9世紀以降のものです。8世紀前半の掘立と住居は国府成立過程のものであろう。
第9地点
9地点は掘立柱建物址7棟・住居址5軒を検出され、掘立7棟の内3棟は7世紀後半、8世紀前半・後半に対し、住居は9世紀以降のものである。
第12地点
- 主として近世以降、中世、古墳時代後期~奈良・平安時代の以降・遺物を検出した。その中心は古墳時代後期から奈良・平安時代の集落跡であり、古墳時代後期(7世紀)に始まり、10世紀後半まで存続していたと推定される。
- 竪穴住居は7世紀中頃~後半が最も多く、次いで8世紀中頃にも一つのピークが認められる。本地点の東側約450mからは、相模国府庁の脇殿と推定される掘立柱建物が検出されており、本遺跡も国府推定域に含まれているが、検出した遺構は竪穴住居址が中心で、遺物も官衙的なものは少ない
第14地点
砂丘から凹地へ向かう傾斜地際であり、諏訪前A遺跡第14地点は他の調査地点と比べ国府に関連する遺構は希薄になる傾向が窺える。掘り込みの溝状遺構がL字状に認められ、その東側から南側で本時期の遺構の大半が認められた。竪穴住居跡の1/4程を確認。床面の作り替えが認められた。
第15地点
- 中原街道から近い。110号礫群では中央に窪みあり。礫集中が2区第二文化層にある。
1区では竪穴建物9軒、掘立柱建物跡3棟、竪穴状遺構30基、
遺構
- 竪穴住居址 - (古墳後期~平安)
- 掘立柱建物跡 - (古墳後期~平安)
- 竪穴状遺構- (古墳後期~平安)
- 道状遺構- (古墳後期~平安)
- 溝状遺構- (古墳後期~平安)
- 井戸址- (古墳後期~平安)
- 土坑- (古墳後期~平安)
- ピット- (古墳後期~平安)
遺物
- 須恵器(古墳後期~平安)
- 土師器(古墳後期~平安)
- 灰釉陶器(古墳後期~平安)
- 土製品(古墳後期~平安)
- 石製品(古墳後期~平安)
- 鉄製品(古墳後期~平安)
指定
アクセス
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