美々4遺跡(びびよんいせき)は千歳市南部の新千歳空港内にある縄文時代後期から晩期の遺跡である。
苫小牧市との境を流れる美沢川の左岸に位置する。美沢川の両岸に東西2kmにわたり「美沢川流域の遺跡群」が所在する。美々4遺跡は標高5mから20mの緩やかな斜面に位置する。 土器は、後期末〜晩期初頭の堂林式、御殿山式〜大洞B式に相当する遺物が主体となる。
新千歳空港の建設に伴って発掘された。これまでに3回の調査が行われ、@昭和51年度から60年度調査、A平成6年度、7年度調査、B令和3年以降の調査がある。
台地部分で周溝墓、周堤墓など大規模な集団墓が発見された。周堤墓は北海道に特有の埋葬形式である。周堤墓は円形の竪穴を掘り、土を周囲に盛り上げて周堤を築き、その内側に墓坑を作るものである。遺物点数は自然遺物を除き約40万点であった。 美沢川の低地部では盛土墓が発見された。遺体を土坑に埋めるのではなく、火山灰を盛って埋葬する。重要文化財の動物形土製品が出土している。また蛇、フクロウ、熊などの動物意匠土器も見られる。土器は、縄文時代後期末から晩期初頭の堂林式・三シ谷式・御殿山式〜大洞B式に相当するものが主体であった。土製品には土偶・耳栓・土玉・オロシガネ状土製品、石製品には異形石器・垂飾・石棒・オロシガネ状石製品や動物を表現したと思われるもの等がある。
台地と低地の間の斜面を調査した。平成7年度出土のフクロウ意匠土器片と昭和58年度出土の土器片とが接合したことから、遺跡の斜面と台地が一体的に利用されていたものと判明した。
斜面部を調査した。令和4年度の土壙墓から石斧と石鏃が副葬されていた。人骨が残存する土坑墓10基が確認された。翡翠製勾玉や土製の耳栓などの装飾品が含まれる。 エゾシカ、イノシシ、イヌなどの焼けた獣骨片が多く出土した。斜面部で祭祀や儀礼が行われていたとみられる。 ベンガラ、坑口に大礫が出土。副葬品等周堤墓の墓坑に類似。土坑時期不明中19基を遺物等から同時期と推定された。釣り金具と思われる金属製品を伴うアイヌ文化期の土坑墓が検出された。
盛土の調査が後、その下の土から土器の破片が出土した。盛土の下の土器を復元することになり、破片を詳しく観察し、ブラシで土を慎重に落とし、立体パズルのように破片の接合を確認したところ、土偶のような土製品が現れた。破片の文様や色などを手掛かりに、周辺で出土した遺物の中から同じ土製品の破片を探し出した。突起にみえた塊は頭になり、全長約32p、特異な造形の土製品が復元できた。その特異な姿とともに、中空作りの焼成技術の高さ、表面の文様は比類がない。頭・首・胴そして指の刻まれた手足を持ち、カメ、水鳥、ムササビ、アザラシにも見える不思議な姿であるが、特定の動物に比定することは困難である。特異な形状を伝える出土品で、繩文時代後期・晩期の祭祀、呪術的な精神生活をみるうえに貴重な遺品である。発見から3年後の1979年6月、国の重要文化財に指定された。
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