釈迦堂遺跡(しゃかどういせき)は山梨県笛吹市にある縄文時代の遺跡である。
釈迦堂遺跡は山烈県東八代郡一宮町と東山梨郡勝沼町にまたがる京戸川扇状地(藤井扇状地)の扇央部に位置する。扇状地は、扇頂から扇端まで約2500mあり、広大な面積を形成している。モモ、ブドウの栽培の適地として、果樹園地帯となっている。その範囲は南北450メートルにわたる。 遺跡は谷や尾根により塚越北A(主として縄文後期)・塚越北B(同縄文前期−後期)・釈迦堂(同奈良期)・三口神平(同縄文前期−中期)・野呂原(同縄文中期)の5つの地区に分かれる。 釈迦堂遺跡群では、約15,000点以上の石器が出土している。そのうち粘板岩系の打製石斧は、風化が著しく、発掘時では石器として取りあげたにもかかわらず、整理時には石片と化してしまったものがある。呪文時代早期末〜前期初頭の石器では他の時期に比べて水晶の使用頻度が高い。前期では打製石斧は定着し、普及する。磨製石斧は乳房状磨製石斧が顕著である。中期の石器は前期とほぼ同様であるが、打製石斧の量が増大する特徴がある。
1980年2月12日から1981年8月12日まで山梨県教育委員会が発掘調査を行った。縄文時代早期末〜前期初頭の住居址27軒、土拡16基を検出した。縄文時代前期は関東地方の黒浜式を早期とし、下吉井式を前期としている。多量の土器は1類から14類まで分類されている。縄文住居跡は255棟が発見された。
釈迦堂遺跡群は土偶の出土数として1116個体が出土した。土偶の出土数は三内丸山遺跡に次ぐ数である。土偶の部位別では、頭部190点、胸部168点、腕132点、胴から足にかけて626点であった。 縄文時代前期7点、後期1点を除くと、他は中期であった。土偶の多くは10cmから、30cmの大きさである。 割られている土偶があるため、土偶の作り方が判明した。 早期から前期に掛けての土偶は、素朴な作りで、顔や手足が省略されている。乳房があるため女性像である。土偶は豊作や動植物の繁殖を願う人形と解釈されている。
土偶は縄文時代が多く、弥生時代にはほとんどみられない。精神構造が縄文時代から弥生時代にかけて大きく変わったのではないか。土偶は縄文時代において奈良時代の仏像のような役割を果たしていたのではないだろうか。
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