白鍬宮腰遺跡
2024-09-11


白鍬宮腰遺跡(しらくわみやこしいせき))は埼玉県さいたま市に所在する縄文時代、古墳時代から平安時代、近世にかけての複合遺跡である。

概要

さいたま市与野本町の西約2.0kmにある遺跡である。大宮台地は関東平野の中央部にあり、埼玉県川口市・さいたま市から鴻巣市にかけての細長い洪積台地であるが、その南西縁辺部 と旧河川により形成された自然堤防上に位置する。現在知られている範囲は、南北約 650m、東西約200mの小判形となる。遺跡のすぐ西側を鴨川が流れる。遺跡の標高は約8mから 9.5mで、西側の低地との差は約1mから2mがある。周辺には市指定史跡の「かね山古墳」・「権現塚古墳」など、古墳時代の遺跡が多く点在する。 以下では縄文時代、古墳時代に焦点を絞って記述する。

調査

昭和59年以来これまで20次の調査が行われている。

第18次調査

第18次調査では古墳時代後期の周溝 1 条のみ検出され、遺物は18平ケースで3箱分が出土した。周溝からは円筒埴輪の破片が7カ所で出土した。調査区中央より東側で見つかっており、底面より約 45 p〜70cm 上の土層から見つかった。周溝内からは縄文時代中期とみられる縄文土器の大型破片も多く出土した。調査区の西側付近では、周溝の底面より約 20 p〜45cm の土層から台付甕の底部が出土した。

第19次調査

縄文時代前期初頭から前期中葉の住居跡、ピット100基以上を検出した。遺跡の南側にも貝塚を検出した。遺跡の北側はこれまでに検出されていた。また古墳時代中期の住居跡2軒、古代の土坑1基を検出した。遺物は平箱8箱ある。古墳時代中期の1号住居は隅丸方形で、1辺5.4m、炉跡は中央北西にあり、住居跡床面から古墳時代中期の和泉式土器が出土した。 第4号住居跡は長辺6.9m、短辺6.3mを測る。第2号住居は長軸3.2m、短軸6.2mの方形である。

第20次調査

古墳時代前期の住居跡3軒、古墳跡周堀、遺物は30L平箱5箱であった。古墳時代前期の土器、管玉が出土した。第4号住居跡は東西6.11m、南北5.6mで約34m2である。床は貼床である。貯蔵穴は2基検出し、炉跡は中央北寄りにある。床面がところどころで焼けているので、消失住居とみられる。第2号、第4号住居跡では、器台、坩、高坏(小型)が出土しており、祭祀に関わる遺構とみられる。

遺構

遺物

白鍬塚山古墳周堀出土埴輪類、土製模造品、石製模造品及び土器類

1.第1号円形周溝墓出土土器類

第2号円形周溝墓出土土器類、銅製品、鉄製品、石製品、土製品及びガラス製品類

第一号土壙出土鉄製品類

溝内出土土器類及び鉄製品類

指定

考察

竪穴住居は1棟で約30m2から40m2である。現代でいうと1DKの広さである。子供の数が多いとかなり狭い住居である。竪穴住居に5人から6人ほどが居住していたと言われるので、夫婦+子供3名、あるいは夫婦+子供2名+親世代2名であろうか。集落の人口は 弥生時代では100名から125人程度なので、約20軒で1つの村を形成していたことになる。 縄文時代と古墳時代の土器出土は見られるが、弥生時代の土器出土がないのはなぜであろうか。その間は一時放棄されていた土地であろうか。


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[縄文時代]

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