戸の丸山製鉄遺跡(とのまるやませいてついせき)は広島県庄原市濁川町に所在する古代の製鉄遺跡である。
1986年(昭和61年)に発掘調査が行われた。山の急斜面を削って造った約7.5m×5.5mの平坦面上に遺跡がある。製鉄炉は、78cm×55cm、深さ25cmの隅丸長方形の炉穴に木炭粉を混ぜた黒色土を埋め、その上に薄く砂をまき、炉底とした。炉床を掘り下げ、木炭などを敷き詰めた簡単な防水構造としている。炉底からは最後の操業の時に残された炉内残留滓が出土した。
日本で製鉄が開始されたのは古墳時代とされる。弥生時代に見られるとする意見もある。 広島県内に、戸の丸山製鉄遺跡や白ヶ迫(しらがさこ)製鉄遺跡(三次市)などの製鉄炉がある。
製鉄炉の年代は、木炭の14C年代測定、残留磁気測定、フィッショントラック法で年代測定を試みたが、出土遺物から弥生時代中期後半と考えられるのをはじめ、6−7世紀、奈良時代、平安時代後半など、ばらついた測定結果がでている。溝については木炭窯の可能性も指摘されている。年代測定法や形態から古墳時代後期(6世紀後半頃)と推定されている。
『出雲国風土記』飯石郡条に、「波多小川。源は郡家の西南二十四里なる志許斐山(しこひやま)より出で、北のかた須佐川に流る。鐵(まがね)あり。」(島根県古代文化センター(2023))と書かれる。鐵は砂鉄のことであるから砂鉄がとれる川として波多小川(現在の波多川、神戸川の支流)が現れる。 また仁多郡条には「田に依りて、故、横田という。即ち正倉あり。以上の諸(もろもろ)の郷にある鐵堅くして、尤(はなは)だ雑具(くさぐさのもの)を造るに堪たふ」(同前)と書かれる。
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