甲塚古墳(下野市)
2024-10-13


甲塚古墳(下野市)(かぶとづかこふん)は栃木県下野市にある帆立貝形古墳である。 日本百名墳に選出されている。

概要

栃木県南部には古墳が多数点在する。そのうち大型古墳は摩利支天塚古墳(120m)・琵琶塚古墳(123m)・甲塚古墳(80m)・愛宕塚古墳(78.5m)・山王塚古墳(72m)・丸塚古墳(65m)・吾妻古墳(128m)がある。築造順は、摩利支天塚古墳→琵琶塚古墳→吾妻古墳→甲塚古墳→愛宕塚古墳→山王塚古墳→丸塚古墳とされる。 埋葬施設は凝灰岩の切石の横穴式石室である。日本初の出土例の機織形埴輪2基が検出された。栃木県南部地域に分布する後期古墳群の主墳とされる。令和5年度に須恵器の脚付長頸壺と大甕、円筒埴輪1点の修理を行った。馬形埴輪には女性が横座りする際の足置きが表現される。古墳南側周溝に食い込むように建てられてるホテルがあり、南側の範囲は確認できていない。

調査

1883年(明治16年)・1893年(明治26年)の発掘により、墳丘は十文字に破壊されていた。 下野国分寺跡の史跡整備に伴い2004年(平成16年)に発掘調査を行った。石室西側の基壇面から、埋葬に伴う儀礼時で使用した360個体以上の土器群が出土した。埴輪群に4 色(赤・白・黒・灰)の彩色が施されていた。古墳の測量・周湟トレンチ調査を行い、墳丘は第一段下端の計で78.1m、周湟外周径で94.8m、周湟底から墳頂までの高さ9.3から9.8mで、墳丘第一段の平坦部をもつ、この地域の大型円墳と判明した。玄門と羨道との間に刳り抜き玄門があると推定されている。2004年(平成16年)に埴輪の盗難事件があり、完形に近い良品の埴輪3体だけが夜中に盗まれてしまった。

規模

遺構

遺物

築造時期

被葬者

展示

指定

考察

アクセス等 

参考文献

  1. (財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ−(2012)『栃木県埋蔵文化財調査報告343:甲塚古墳』(財)とちぎ未来づくり財団埋蔵文化財センタ−
[古墳時代]

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