弥生時代
2024-12-17


弥生時代(やよいじだい,Yayoi Period)は日本の時代区分のひとつである。縄文時代の次の時代で、古墳時代の前の時代である。

概要

弥生時代前史

藤尾慎一郎(2015)によれば、朝鮮半島では紀元前13世紀に畑作が始まっていた。朝鮮半島で水田耕作が始まるのは紀元前11世紀からとされる。蔚山広域市(ウルサンコウイキシ)のオクキョン遺跡(蔚山広域市)では紀元前11世紀の水田跡が見つかっている(参考文献5)。水田の1区画は1から3平方メートルの小区画で、かなり小規模の水田である。朝鮮半島では環濠集落も作られた(参考文献5)。 島根県板谷V遺跡では紀元前11世紀の突帯文土器の表面に稲籾のスタンプがついていたが、水田跡はみつかっていない。稲は紀元前11世紀でも入っているが、朝鮮半島との交流が伺える。

弥生時代

朝鮮半島で稲作が始まった後、朝鮮半島南部の人々、洛東江下流域の人々が当時の倭国(日本)に渡り、水田稲作文化を伝えたと考えられている(参考文献5,p.40)(参考文献6)。 弥生時代の社会は作物として米を作るだけでなく、稲作を効率的に行う労働組織、物資交換の仕組みがあり、豊作を願う祭祀を行うなど米中心の社会組織をもつ人々である。 日本で最も古い水田耕作を行っていた村の一つは有田七田前遺跡である。ここには水田跡こそみつかっていないが、米を作っていたのは間違いないとされている(参考文献5,p.48)。 最古の水田は菜畑遺跡、福岡板付遺跡、野多目遺跡である。森林を切り開き、水路を切削し、杭、横木、矢板を使っていた。菜畑遺跡では紀元前9世紀の最古の水田跡が見つかっている。 日本の水稲農耕の起源は北部九州であり、そこで最初に水稲農耕が始まったとされる。1951年から1954年にわたる日本考古学協会と福岡県教育委員会との合同調査により出土した炭化米によって、弥生時代のはじめから、すでに稲作が行われていたことが確認されたとする(参考文献4)。

水田稲作の開始年代

藤尾慎一郎(2015)によれば、2007年に福岡市橋本一丁田遺跡の方形浅鉢の外面に付着していた「すす」の放射性炭素14年代測定を行い、「2760±40炭素年」の結果を得た。水田稲作の開始年代は紀元前10世紀までさかのぼるとした(参考文献6,p.55)。

弥生土器の発見

1884年に東京都の弥生二丁目遺跡で見つかった壷の発見は縄文土器と異なる「弥生式土器」として認識されていた。1951年から1954年に行われた福岡市板付遺跡の発掘調査で縄文時代晩期の「夜臼式土器」に伴って発見された弥生土器は「板付T式土器」と呼ばれ、最古の弥生土器として認定されている(参考文献1,2)。その後、弥生時代は土器より、水稲農耕の存在で始まりとする考え方が主流となっている(参考文献3)。

時代区分

先行する時代は縄文時代であり、後の時代は古墳時代である。

弥生時代の開始年代

判定基準

弥生時代の開始を何により判定するかは3説がある。

  1. 水田稲作の開始 - 藤尾慎一郎
  2. 農耕社会の成立 - 石川日出志
  3. 弥生土器の登場 -

実年代

また、弥生時代の開始実年代については3説がある。

  1. 従来説 紀元前5世紀から4世紀
  2. 歴博説 紀元前10世紀
  3. 九大説 紀元前9世紀から8世紀

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