敷石住居(しきいしじゅうきょ)は、平たい石を床に敷き詰めた縄文時代の住居である。 「柄鏡形敷石住居」ともいう。
関東地方と中部地方(東京、神奈川、静岡、山梨、長野、群馬)を中心として、縄文時代中期終末期に出現し、後期中葉期に廃絶する。敷石をもたない柄鏡形構造をもつ例も存在する。 特徴は(1)床に石を敷くこと、(2)住居に付属して突出する出入口施設(「張出部」と呼ぶ)をもつことである。敷石は拳大から一抱えもある石である。住居の平面形態は柄の付いた鏡や鍵穴のような形であり、住居の出入口となる。囲炉裏を中心に平板石をきれいに敷き詰める事例がある。
「柄鏡形敷石住居」は1924年(大正13年)10月、東京府南多摩郡南村(現・東京都町田)高ヶ坂字坂下の地の牢場遺跡で初めて発見された。川島義一(2023)による多重対応分析(カテゴリカル変数に対する主成分分析)では第一主成分であるDim1と第二主成分であるDim2の寄与率の合計値(累積寄与率)は26.7%と非常に低い結果となっている。川島義一(2023)は「柄鏡形敷石住居」は加曾利EV(新)式期に突然出現したものではなく、それまでの多様な遺構属性の組み合わせを引き継ぎ、そこに張出部を設け、敷石・周礫を施したものと考えるべきであると指摘した。 従来の柄鏡形住居址の分類とは異なっており、川島義一(2023)は累積寄与率を用いて新たな視点を提供した。
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