山中遺跡(愛知)(やまなかいせき)は、愛知県一宮市にある弥生時代と古墳時代の遺跡である。
山中遺跡は木曽川水系日光川の左岸に位置する。主な時代は弥生時代終末期から古墳時代初頭である。山中嘩跡の周辺に南木戸遺跡、百代遺跡、二タ子遺跡など弥生時代の遺跡が集中しており萩原遺跡群として知られる。S状口縁台付甕が有数の弥生遺跡である元屋敷遺跡、下渡遺跡、南木戸遺跡、山中遺跡等から出土している。
第一次調査は1959年、第二次調査は1980年、第三次調査は1981年、第三次調査は1990年、第四次調査は1993年に行われた。第四次調査では条痕紋系土器の壺が散乱した状態で出土した。 突帯紋土器終末期では、遠賀川系土器との共伴が問題にされるが、山中遺跡の調査においては、共伴は検出されなかった。遺構・遺物は、(A1)弥生時代前期で遠賀川系土器を伴わず粗製土器のみ出土する段階、(A2)確実に遠賀川系土器を伴う段階、(B)弥生時代後期、古墳時代前期(B)の3時期に分かれる。1968年(昭和43年)、信州大学人文学部大参義一教授は、山中遺跡の出土土器を東海地方の弥生時代後期土器編年上の基準資料に位置付け、「山中式土器」を提唱した。山中遺跡は「山中式土器」の標式遺跡として世に広く存在を知られるようになった。
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