条痕文系土器(じょうこんもんけいどき)は縄文時代早期の土器の外面や内面全体に平行な細い筋が無数に認められる土器である。
縄文時代早期の西日本、甲信越、関東、東北に広く見られる土器である。1000年以上にわたり使われた土器形式である。縄文時代晩期後半の土器は、突帯文系土器から条痕文系土器へ変遷する。条痕文系土器の最初の段階は「樫王式」(標識遺跡は豊川市樫王遺跡である)とされる。縄文時代前期、後期を中心とするが、弥生時代にも見られる。縁がギザギザじている二枚貝を粘土の表面に当てて横に引くと、多数の平行線を同時に描くことができる。
土器の内面、外面に条痕が見られ、後円部に二列ないし三列に並列される文様がある。 土に植物繊維を混ぜる特徴がある。条痕文系土器には植物繊維が混入しているため、土器の断面が黒くなっているのが特徴である。底部の形は以前の尖底から平底に変化する。尖底から平底に変化する過程で、単純な胴形状から屈曲がされるようになる。 命名として型式名を示したのは久永春男であった (久永(1953))。
文様は木の板(ヘラ)や二枚貝の縁辺部、絡条帯(棒状の芯に縄を巻き付ける)などを用いて刺突文、沈線文、圧痕などにより土器面を整える。条痕文を下地として胴上半部に表される。線を規則正しい方向に調整して、装飾効果を得ている。単純で原始的な方法で文様を造る。
突帯文系土器から条痕文系土器に変わったのはなぜであろうか。当時の美意識として、平行線の美しさと実用性(表面の摩擦係数が大きいので、滑りにくい)が考えられる。 検証されたわけではないが、仮説的には、突帯文は制作時に貼り付けているので、暖めると温度により伸縮差が顕在化して帯が取れやすかったことが想定できる。 弥生時代にも条痕文系土器が出土することは、その時点で縄文系弥生人がいたことを表す。
セコメントをする