吉見百穴(よしみひゃっけつ)は埼玉県県比企郡吉見町にある古墳時代後期の横穴墓群である。
現在確認できる横穴の数は219基である。古墳時代の横穴墓群としては国内最大規模である。凝灰質砂岩という比較的掘削しやすい岩盤である。地元では「ひゃくあな」と呼んでいる。東松山駅東口から鴻巣西口方面行きのバスで10分前後である。資料展示館と埋蔵文化財センターが隣接し、発掘出土品を展示する。中央ルートは上に登ることができる。穴のいくつかは中に入ることが可能である。構内に国指定天然記念物の「ヒカリゴケ」が生える。
当初は住居説があったが、死者を埋葬する横穴と判明した。戦争中は大規模な地下軍需工場が作られ、それにより十数基の横穴が壊された。
明治20年(1887年)、東京帝国大学(現東京大学)の大学院生であった坪井正五郎が地元の人々の協力を得て全面発掘調査を行い、237基の横穴を発掘した。人骨、玉類、金属器、土器類が出土した。
それぞれの横穴は、前庭部、羨道、玄門、玄室からなる。玄室は広さが約4m2から6m2である。構造は古墳の横穴式石室とほぼ同じである。玄室には棺座と呼ばれる遺体を安置する施設が設けられる。玄室の平面系は、正方形、長方形、台形、楕円形など8形式に分類される。 横穴墓の入口には酷D石片岩を板状に加工した閉塞石が立っていたとみられる。
吉見百穴事件は、2024年3月22日に埼玉県吉見町の百穴射撃場で発生した、散弾銃の誤発射事件である。30代と70代の男性2人が弾に当たり、腕や背中に怪我をした。心霊スポットとも言われる。
セコメントをする